本好きの人・本・心をつなぐ『古書片岡』

儲からなくても来客に椅子をすすめ、
時間の許す人にはお茶をすすめ、
本にまつわる蘊蓄を語る

 12月26日の土曜日、神戸市兵庫区神田町にある片岡喜彦さんの経営する『古書片岡』を初めて訪問しました。
 毎月兵庫土建の『建設ひょうご』の編集作業があるため、最低1回は神戸に通っているのですが、いつも仕事が終わればトンボ返りで堺に戻らなくてはならないことが多くて、今回の初訪問は片岡さんが開店して8ヶ月目となってしまいました。
 片岡氏は30数年労働組合の専従職を勤められて50歳になった時「古本屋になろう」と心に決めていたそうです。本好き、読書好きが行き着く願望が「あの番台に座りたい」ということで、本屋経営は実は若いころからの夢だったそうです。
 ただ、驚くほど商売気がなく、ただそこに座っていて本に囲まれている生活をしたいがため開業したので、儲からなくてもよく、経営方針といえば「来客に椅子をすすめ、時間の許す人にはお茶をすすめ、本にまつわる蘊蓄を拝聴できれば」ということなのだそうです。
 小さな店なので、専門分野もなく(本人の蔵書は社会科学系)、特別イチオシの本というのもなくて、ネット販売もしない。お金で汲々としている私らの感覚では、どうして成り立っているの…と思いますが、ここは片岡さんが友人にワープロで手紙を書いたり、同人誌『足跡』を生み出す書斎でもあり、よく考えれば誰しもが自分のスピリチュアル空間を現実再現化しているので、なんとなく理解できるような気はします。でも「本好きの人・本・心をつなぐ店」、このキャッチ、なぜか惹かれる言葉ですよ。

 ちなみに私の弟(藤井游惟)が、国語学者の定説に異論を唱えて書いた『白村江敗戦と上代特殊仮名遣い』という言語学から日本国家の起源を考察した本を一昨年ころ出版しました。それを片岡さんの定年前に差し上げました。それを店に出されていたそうですが、その本は売れたそうですよ。

片岡喜彦さんの関連記事 片岡喜彦写文集『本のある風景4』



中村祐造記念2009バレーボール交流試合in姫路

ミュンヘン五輪金メダリスト
中村祐造氏が4年ぶりにフジイ企画に
 
 ミュンヘンオリンピックの金メダリスト、中村祐造(男子バレー)さんが久々に来訪されました。
 前回、お見えになったのが2005年でしたから、私にとってはまさにオリンピックサイクルです。
 今回の来訪は、出身地の姫路で行われる家庭婦人バレーの交流試合のプログラム作成のためで、打ち合わせなどを含め、5回ほどお話しをさせて頂きました。
 ただ、たった4年しか経っていなのに、前回と多少印象が変わっていて少しとまどいました。お話しを聞けば、この間に体調を崩されたされたようで、お越しになる時はいつも奥様と同伴でした。
 今回は大古、猫田、横田とか森田以前の話題は少なく、事務的なお話が多かったのですが、今の指導者としての取り組みのお話などを伺っているうちに、前と全く変わらない語り口で色々なお話が進んでくると、少しづつイメージが戻ってきました。やはり『生涯現役』という姿勢は健在だと感じました。 たまたまフジイ企画の女性スタッフのひとりが40歳過ぎでバレーを続けているので、中村さんにお話ししたら『やる気があるなら、すぐに鍛えて大会につっこんであげる』とも言っていただきました。
 突然の来訪で、あまり時間感覚がなかったので、こちらも4年をちょっと振り返ってみたのですが、気が付かないうちに仕事の内容や人の出入りにも大きな波や変遷がありました。ただ、日々の繰り返しの中からでは気が付かなかっただけで、たった4年でもこの歳になれば色々ありますね。そうしたことを感じながら、(こちらも多分)外見こそいろいろ変わっているだろうなと思いました。
 ただ愚直に同じことを続けていく姿勢にはおおいに見習わなければと思い、こちらにも大きな励みになりました。今後も是非がんばって頂きたいと思います。

中村祐造記念2009 バレーボール交流試合in姫路
平成21年12月14日(月)~25日〔火) 会場=姫路市中央体育館
主催者/全国家庭婦人バレーボール生涯現役の会
代 表/中村 祐造  共 催/JA兵庫西  後 援/姫路市・姫工OB生涯現役の会
 

中村祐造氏のプロフィール
 1942年4月24日生まれ。姫路市出身。61年に八幡製鉄(現新日鉄)入社。主将として低迷していたチームを再建。ミュンヘンオリンピック決勝で東ドイツを破り、金メダルを獲得。73年から国内タイトルを11大会連続で獲得し、黄金期を築いた。77―80年に日本男子代表監督。現在、2009年に国体がある新潟県バレーボール協会のスーパーバイザーなどを務め、競技の普及に力を注ぐ。
 写真はミュンヘンオリンピックの決勝で東ドイツを破り胴上げされる中村祐造氏と金メダルなど(2005年作成のパンフレットより)。

追記=中村祐造氏は2010年7月に68歳でお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします



中国残留日本人孤児大阪訴訟5年の闘い『落葉帰根』

残留孤児の救済をいかに制度的に
確立していくかを問う

 中国残留日本人孤児の大阪での闘いを総括した報告集が大阪訴訟弁護団よりこのほど発行されました。

 全国各地で起こされた裁判での第1号判決。残留孤児敗訴の判決でしたが、その社会的影響力は大きく、マスコミでも大きく、そして批判的に取り上げられることとなりました。

 この裁判は、あらゆる意味で前例のないものでした。戦前の国策による最大の被害者である残留孤児たちの逃避行や肉親との別れ、戦後の歩み、帰国と帰国後の自立へ向けた努力に至る具体的な経過を、残留孤児たちの証言や数多くの資料から明らかにするものであり、膨大な「歴史」を「訴訟」という「土俵」に乗せるために様々な法的構成の試みが全国の弁護団で取り組まれ、その闘い方をめぐっては弁護団間でも熱い議論が交わされました。

 大阪訴訟判決をきっかけに、マスコミへの働きかけ、街頭宣伝など様々な活動が全国的規模で行われることとなり、国会議員の中にも新支援策導入への機運が高まって、最初の東京訴訟の提訴から、5年という比較的短い期間で、支援立法が制定されることとなりました。

 この報告集は、戦後60年ようやく帰国を果たしたものの、様々な形で日本社会で取り残された残留孤児の救済を、国の法的責任を明らかにするとともに、制度的にいかに確立していくかという課題と取り組みの成果を法律家の視点でとらえた報告書です。

編集発行=中国残留日本人孤児国家賠償訴訟大阪弁護団
A4判 122ページ
製作・印刷=編集プロダクション フジイ企画



おそうじのプロ「ケアマスター通信」を創刊

 株式会社ケアマスター。ハウスクリーニングや建築美装全般を扱っている会社です。社長の上田稔さんはお客様ゼロ件からスタートして創業7年目という36歳の若手社長です。今回は顧客向けに「ケアマスター通信」を創刊されるということで、そのお手伝いをさせていただきました。

  企画内容はバッチリ
 普通は、色々お話しをお聞きして煮詰めてからラフスケッチを出して…という工程なのですが、簡単なラフスケッチを持ってこられて、「この方針でいきたいのですが…、ただプロの意見もおききしたいのです」と仰る。  ラフ案を見て、『会社と社員を売る』という広報誌としての発行目的もハッキリしておられて、配布ターゲットも把握していました。また構成内容では『顧客の参加』を含めた広報物の双方向性という機能も十分理解した上で来られていることに驚きました。反射的に「なにもいうことおまへんわ。これでいきましょう」となりました。 紙面企画についてはバッチリでしたね。納期の問題と製作段階で部分的なコンセプト作りやページ割などは考えましたが、ほとんど上田さんの持ち込まれた記事通りです。その意味では納期はきつくても大変楽な仕事をさせていただきました。

商品ではなく会社・人を売ること
 普通、広報誌(社報)は、単なる宣伝物とは違って商品を直接売るものではありません。ここでの売りは会社自体であって、社風と『人』をどれだけ読み手に伝えることができるかということに尽きます。そのための方法論はいろいろ考えられますが、「会社を売る」ためには何と言っても発行側の経営に対する理念と指針がもろに核となるので、社長の方針が相当に影響します。 効果のある広報ツールを創るにはその方向性が最も大事なのです。この意味で、上田社長はサービス業の原点にしっかり立っておられて、さすが「コネなし、顧客ゼロ」から築いてこられた創業社長だなと感心しました。
 久しぶりに楽しい仕事をさせて頂きました。これからの工夫が楽しみです。

㈱ケアマスターのホームページ



第7回心をつなぐコンサート『春野恵子の浪曲一直線』

第7回心をつなぐコンサート
春野恵子の浪曲一直線

プログラム予定
第1部
うたごえサークル“ら・ら・ら”
市民合唱団“ピースコール”
うたごえサークル“ぐみの木”

第2部
争議支援のアピール
派遣切りとたたかう『積水ハウス』の派遣労働者
「不当解雇は許せない!」飛翔館高校の先生たち

第3部
春野恵子さんの浪曲(三味線=一風亭初月)

 ●2007年12月4日(金)午後6時30分 (午後6時開場)
●サンスクエア堺B棟ホール 参加協力券は堺労連まで 主催=堺労連・堺労連女性部
〒590-0074 堺市堺区北花田口町3丁1番15号 東洋ビル3F
TEL 072-221-8384 FAX 072-222-7399

優れた芸術で仲間と連帯
 「だれもが人間らしく安心して働けるように …」という願いを込めてスタートした堺労連女性部主催の『心をつなぐコンサート 』も今回で7回目。派遣切りとたたかう『積水ハウス』の派遣労働者、不当解雇とたたかう飛翔館高校の先生たちを励まし、優れた芸術にふれることで多くの仲間同士の連帯と交流を深めていきます。今回は『浪曲一直線』。「進ぬ!電波少年」のケイコ先生で人気を博したのち、浪曲師となられた春野恵子さんをお迎えしました。「堺浪曲新風亭」で初舞台を踏んだことで堺にもゆかりがあり「快く引き受けてくださいました」と、労連女性部の鈴木さんも、喜んでおられました。

春野恵子さんのプロフィール
 東京都出身。東京大学教育学部卒業。「進ぬ!電波少年」の「ケイコ先生」として人気を博したのち、関西浪曲界の大御所二代目春野百合子に弟子入り。持てるだけの荷物をもって夜行バスに乗り、それも丸坊主で押しかけたエピソードは有名。2006年に堺市の「堺浪曲新風亭」で初舞台。2007年、幸いってん、菊地まどか、曲師の一風亭初月、沢村さくらと「新星浪曲☆新宣組」を結成し話題となる。

フジイ企画にもチラシを備えています。また、メールニュース等で皆さまにもご案内いたしますので、ご連絡下さい。

堺労連女性部『心をつなぐコンサート』アーカイブ*********** 
第10回 2012年12月21日 『松浦由美子12月に歌う』
第9回 2011年12月16日 『津軽三味線とケルトの笛』
第8回 2010年12月24日 『虹の空の下で平和を歌おう』
第7回 2009年12月4日  『春野恵子の浪曲一直線』 
第6回 2008年12月5日  『つながり・ひびき。ゆらぎ』
第5回 2007年11月30日 『いま、この時代をいきる』



インターン生と岡田ひでき議員(富田林市議会)を訪問

10月20日の夕方、富田林市会の岡田ひでき議員を市役所の議員控室に、今年の夏、インターンシップ学生として研修に来ていた帝塚山学院大学の土肥さんと再び訪問することになりました。他にフジイ企画の美穂ちゃんと私と3人で合流して、広報誌づくりについて意見交換をしました。

『岡田ひでき通信』づくりに
市民の目線を

今年の2月に『岡田ひでき』通信の創刊号を発行して以来、第2号の発行の打ち合わせが目的でしたが、 学生さんと同行したきっかけは、インターン中の営業まわりで岡田議員を訪問した際、彼女の市民の目線での意見が新鮮だったそうです。今回第2号の発行に当たっての意見を…ということで岡田議員の依頼で再度の訪問となりました。土肥さんも快く引き受けてくれて、大変貴重な時間を作って頂くことになりました。
美穂ちゃんは、ちょうどこの時『広報富田林』11月号の色校正刷りを市役所に届けに来ていたので、3人で合流して紙面作りの討論に参加しました。

記事の内容と企画を自由に討論しました
 今回のこのような打ち合わせ要請は初めてで最初、大変とまどいました。私たちも制作過程の中で、市民の目線を取り入れた会議は初めてだったので、どうなるかと思っていたのですが、学生さんに来ていただいた以上、あまりしゃべらずに進めていきました。(といっても、途中で電話が入り、私自身退席していることご多く、会話の中身についてはほとんど聞いていません)、その分、彼女らも自由な意見を出せたのではないかと思っています。
紙面企画をする際、内部的にはテーマ出してブレーンストーミングするのですが、色々な立場の人と交わって意見を採り入れた方が、いいものができあがるのは確かです。 でも実際はあまりそんな機会はないので、独自の判断でやってしまうことが多いです。その意味でも新鮮な経験となりました。
結果的に、原稿執筆段階でそれぞれに見てもらって、意見をメールで書く、ということになったようです。岡田議員も新鮮で意味あるものだった、と喜んでおられました。 今後、運営の仕方も工夫して、よりよい広報物づくりに生かしていけたら…と考えています。

インターンの学生さんとこんな形で再会できて、紙面について交流することになったのは、うれしく思っています。ただ、なかなか目配りもできす、いつも報告するのが遅くなってしまってご迷惑をおかけしています。鋭意努力し、いろいろ改善していきますので、また皆様も、ご意見下さい。

「2009年インターンシップ関連NEWS」CONTENTS
「大学インターンシップの学生がフジイ企画に」
 http://www.fujii-net.com/?p=106
「インターンシップを終えて…学生の感想より」
 http://www.fujii-net.com/?p=107
「インターン生と岡田ひでき議員(富田林市議会)を訪問」
  http://www.fujii-net.com/?p=108
「『インターンシップ実践フォーラム2009』に思う」
 http://www.fujii-net.com/?p=112



インターンシップを終えて…学生の感想より

フジイ企画での10日間は、私にとって大変貴重な経験になりました。
帝塚山学院大学文学部現代コミュニケーション学科3回生(女性)

 インターンシップ初日、予想以上にットホームなフジイ企画の社風に驚きました。
社長との距離が非常に近く、なにか疑問があればすぐに聞けるほどです。 私が今まで経験してきたのは飲食関係のアルバイトだけで、打ち合わせ、パソコンでの作品の編集、営業など、どれも体験したことがありませんでした。
フジイ企画では、どの仕事にも横につかせていただいて、多くの作業を見学、体験できたと思っています。

社長は、よく印刷やデザインについての知識を私たちに熱く語っていただきました。
専門用語が並ぶと頭が真っ白になりましたが、どんな作業をしなければならなくて、どんなトラブルがあるのか、今までにどんな仕事を達成してきたのか、など全てではありませんが少しずつ理解できたと思います。
会社のあの雰囲気は社長が作り出しているから、こんなに実習しやすいのですね。

営業では、濱元さんに営業の基本を少しずつ教わり、市役所や生協、市水道など、なかなか行く機会のないところへご一緒させていただきました。濱元さんはどこへ行っても笑顔で、誰とでも話をふくらませていて、ものを広く知ることがどれだけ価値のあることかを教えてくださいました。

小川さんには、広告会社の視点で、というテーマで課題もだしていただきました。
プロのデザイナーさんにお話を伺えたのは、本当にいい経験になりました。   「夢をふくらませながら、自分なりに書いて下さい」と言われたので、硬くならずに楽しむことができました。

岡田さんとは、いちばん長く同じ時間を過ごしました。   毎日、そうじの仕方やパソコンの操作などをわかりやすく指導して下さいました。   ちょっとしたことでも優しい言葉をかけてくれた岡田さんに、不安だらけの私は何度も励まされました。

野込さんとは、ほんの2日間しかお会いできませんでしたが、気さくに話し掛けていただいて、実際私が働く職場にもこんな先輩がいてくれたら…と思ったほどです。

おひとりおひとりが丁寧に指導してくださるフジイ企画。   ここに応募して、本当によかったと実感しています。
本当にありがとうございました。

自分にどういう仕事が向いているのか、 考えるきっかけに
近畿大学法学部法律学科3年生(女性)

研修内容
営業に同行させてもらったり、資料作り、事務作業まで、幅広く研修をしました。営業まわりでは労働組合の事務所や教職員組合の事務所、議員の応援事務所などを訪問することができ、とても勉強になりました。資料作りではパソコンでの作業で難しいところもあったのですが、わかりやすく教えていただいて、いろいろな操作の勉強になりました。
研修結果の感想
インターンシップを終えて、今まで知らなかったことをたくさん知ることができたと思います。例えば営業まわりの大変さや、パソコンの操作の仕方まで、勉強になることが多かったです。また、自分にどういう仕事が向いているのか、 具体的に考えるきっかけになりました。その結果、自分は事務的な作業よりは動きまわる仕事のほうが向いているのではないかと思うようになりました。また、実際に就職すれば自分の好きな仕事ばかりができるわけではないと思うので、その点では苦手な仕事でもやらなければならないという忍耐力を得ることができたと思います。今回のインターンシップで得たことを教訓にして、就職活動をしていきたいです。いろいろ不真面目な点も多かったと思いますが、11日間お世話になりました。ありがとうございました。(インターンシップ実施報告書より)

8月28日参照  大学インターンシップの学生がフジイ企画に

「2009年インターンシップ関連NEWS」CONTENTS
「大学インターンシップの学生がフジイ企画に」
 http://www.fujii-net.com/?p=106
「インターンシップを終えて…学生の感想より」
 http://www.fujii-net.com/?p=107
「インターン生と岡田ひでき議員(富田林市議会)を訪問」
  http://www.fujii-net.com/?p=108
「『インターンシップ実践フォーラム2009』に思う」
 http://www.fujii-net.com/?p=112



大学インターンシップの学生がフジイ企画に

  8月20日から24日までの約2週間、フジイ企画にとっては初めての大学インターンシップ生が研修に来られました。当方にとって、今回のこのようなインターンシップの受け入れは初めてで、この2週間はこちらにとっても大変な緊張と勉強の連続でした。雇用開発協会のインターンシップ報告書を見れば、受け入れ企業の多くは大手企業であり、受け入れ態勢の整っていない当社にとっては試行錯誤であり、あとで振り返ってみて、かなりきわどいことをやったな…と思わないでもありません。ただ、これからの方向性に大きな教訓を残してくれたことは間違いなく、よい体験をさせて頂きました。

大手に負けないシステムと理念を追求したくて
 2009年は様々な目標を定めてきましたが、そのなかでも本年のトピックは 富田林市の『広報とんだばやし』の落札で、 営業力の強化とともに、大手なみの業務のシステム化を弱小事務所でできるか、ということが今年の課題でした。もともと下請け的な仕事や『なんでもします』的な仕事の嫌いな私として、少人数であっても、大手並みにいかに充実した経営と充実感がもてる仕事ができるかということが念頭から離れず、目的意識の共有・拡大のため、何か違った展開を…と年初に思いついて登録していたのです。

学生のエントリーシートに感激しました
ただ、経営者としての私の不徳のなすところは甚大で、これまでも今も、なかなか仕事が安定せず、現実ばなれした営業方針と夢だけが先行しているフジイ企画なので、経営的にも相当厳しく、体制が整っていたわけでもありません。それに登録したものの、当社のインターンシップに応募する学生などいないと思っていたので、今回2名の大学生からエントリーの申し入れには驚きました。最初は躊躇したのですが、受け入れの決定的な要因としては、エントリーシートの内容が前向きであったということもさることながら、当社の経営理念(伝えたいこと)をきっちり理解してくれていたことです。『これはバッチリや』と。これは応募学生があったこと以上の驚きでもあり、嬉しかったので、是非取り組んでみたいと思ったのです。

スタッフの活躍にも新鮮な発見を
今回のインターン受け入れは本当に勉強になりました。2名の学生のそれぞれの目的意識の違いをどう把握するか、どう課題を与えるかについて何も用意できていなくて、これまでの生き方(やり方)をぶつけていくしかなったのですが、よくついてきてくたと思います。学生に対しては難しい判断も多少はあったのですが、技術的な課題ではなく、仕事の全体の流れと取り組む意識だけは伝えたいと思って接していました。難しい判断は一人一人の生きがい、働きがいを見極めることでしたが、学生にとって仮にミスマッチな仕事であっても、今後に何か指針を伝えられればいいと思っていたので、工夫もでき、またこちらも学生の仕事に対する考え方を学ぶことができました。
もう一つの驚きは、うちのスタッフ達の働きについてです。学生に対する指導(といえるか)に当たった彼ら彼女らが、日々の通常業務を超えた、別の一面を見せてくれたことです。学生とのコミュニケーションの中で、私が全く意識してなかった『教える力』『根気』『工夫』などを多く発見したことです。指示を受ける側、指示を与える側の立場を変えての意識や行動の違いを眼のあたりにして、超ワンマンな私に取ってこれはかなり勉強になりました。この2週間の経験はまた、うちのスタッフにとっても励みになったのではないかと思っています。
今回のインターンシップ日程は、広報『とんだばやし』の編集工程に合わせて組んだので、スタッフも学生さんもお盆休み返上での取り組みとなりました。研修過程での富田林市情報公開課の皆さんのご協力に感謝いたします。(インターン生からのコメントは次回公開します。)

8月31日公開 インターンシップを終えて…学生の感想より

「2009年インターンシップ関連NEWS」CONTENTS
「大学インターンシップの学生がフジイ企画に」
 http://www.fujii-net.com/?p=106
「インターンシップを終えて…学生の感想より」
 http://www.fujii-net.com/?p=107
「インターン生と岡田ひでき議員(富田林市議会)を訪問」
  http://www.fujii-net.com/?p=108
「『インターンシップ実践フォーラム2009』に思う」
 http://www.fujii-net.com/?p=112



暑中お見舞い「本のしおり2009夏」プレゼント


 暑中お見舞い申し上げます。
 このページも、本当は月最低でも2回は更新しようと、年初に目標を立てたのですが、なかなか前に進まず、いつも皆様にはご無沙汰となっています。
 2009年は、年初からスタッフを増やしたのを機に仕事の方向性と新たな展開を模索しています。昨年の今頃を考えれば規模縮小から一転、難しい判断ばかりで右往左往させられております。この上半期の主な動きとして、営業面では
●2009年度『広報とんだばやし』の年間受注
●営業マンのH君を中心に営業力強化で新規開拓
●自社制作媒体の模索と、受注単価の見直しなど
制作、社内の体勢に関しては
●編集・制作スタッフの増員
●ベテランデザイナーによるインストラクション
●大学のインターンシップ学生の受け入れ
などが今までになかった取り組みです。
 これからは経営に対する一定の方向性や理念がどうしても必要で、ここしばらくは慣れない模索が続くと思います。皆様のお知恵を拝借いたしたく今後ともよろしくお願いいたします。

フジイ企画『本のしおり』  お客様の作品も使わせていただきました
  本年も夏バージョン『本のしおり』を作りました。いつもお世話になった方々やお客様に利用して頂いているいるものです。このページを訪問された方(どなたにも)にも差し上げたいと思いますので、メールその他で御連絡下さい。また、しおりイメージ用に提供していただける皆様の作品も募集しております。(アートポスト139kgカラー刷=6枚セット)

しおりの解説
(左2枚)
はムカイヒロノブさんのイメージ写真によるデザイン。 ムカイヒロノブさんは、総合印刷会社のグラフィックデザイナーとして永年勤めておられましたが近年退職されました。今年5月にフジイ企画の組版システムの不調を改善して頂いたのを機にお世話になっています。以後、新人デザイナーのフォローや、オペレーターの指導のために出社されてます。
(中2枚)堺市堺区南清水町に在住の本郷正範さんの書と絵。フジイ企画に来社されたお客様の作品です。自費出版のご相談を受けたのがきっかけでしたが、ご本人の了解のもと今回このしおりに使わせていただきました。
(右2枚)左から『スペイン・アンダルシアの夕日(岩彩画)』、『シルクロード・長安の夢姫(岩彩)=モデル・沖麻砂美』。(谷村柊丘=フジイ企画ディレクター・現代日本画家)



法円坂法律事務所の30周年を祝う

中小企業経営者のパートナーとして歩む法律事務所
 法円坂法律事務所の開所30周年記念パーティーが、6月12日、ザ・リッツ・カールトン大阪にて開催されました。パーティーは30周年の歩みを振り返る映像と、憲法ミュージカル、三線などのミニコンサートも披露され、ディナー形式で楽しい歓談の時を過ごさせて頂きました。

中小企業運動の牽引役として
 
法円坂法律事務所の方とのおつき合いは、大阪府中小企業家同友会との関わりからです。もう10数年以上前になりますが、当時同友会本部の広報委員をやっていて、本部発行雑誌の検討をしていたことをきっかけに、稲田先生と知り合い、また多くの方と紙面作りを討議していました。当時の私にとっては本部活動は新鮮な経験で 同友会活動を積極的に楽しんでいた時期でもありました。委員会後の飲み会では稲田先生は上杉鷹山など歴史に学ぶ経営、バブル崩壊後の経営について語られ、大きな励みになったことを覚えています。
 法円坂法律事務所は、主に中小企業経営者のパートナー、中小企業運動の牽引役として大阪府中小企業家同友会との関係強化から発展されてきました。 『親しまれる法律相談室』として私たち中小企業の経営者の相談役として、法律的な側面だけではなく、様々な企業文化と関わって歩んでこられました。『法遊会』活動では企業経営者の専門分野からの報告、文化人を招いての講演、会食など、幅広い交流活動があり、また、同友会の日中経済交流研究会からの経験からスタートした中国大連事務所ももうすぐ10年になります。そのため、今回のパーティーでも多くの懐かしい同友会のメンバーと再会することができました。


同友会さかい支部広報時代の思い出
 私と法円坂事務所とのおつき合いは、1999年事務所開設20周年記念誌の発行をお手伝いさせていただいてからです。当時、同友会さかい支部では月刊広報誌を発行していました。支部広報委員であった小西事務局長と知り合いになり、飲み友達にさせていただいたことがきっかけで、以後永く交流させて頂いています。同友会さかい支部の広報は1995年6月~2004年5月までの9年間、『月刊』で発行し続けていました。その間、紙面企画で『経営者の法律相談』などを中心に担当して頂き、大変充実した数年を共にさせて頂きました。 その後、支部広報『SAKAI中小企業家』は同友会が支部からブロック単位へ移行するのを期に支部方針で廃刊になり104号をもって終了しました。当時のさかい支部広報委員会では『新企画は会議のあとで…』というのが伝統で、新しい発想は会議以外の飲み会の中で決められることが多く、広報以外の営業や人事など様々な経営課題もこの場で論議することも多く、充実した期間でもありました。

  交流や学びの中で、日々の営みを研鑽
 
 以後、同友会での交流や学びの中でお付き合いさせていただいた、法円坂事務所だより『The法円坂』も、もう10年となりました。この間、フジイ企画にも様々な動きがあり、歴史を刻み込む中で、30周年誌も手がけさせていただけるようになったことは感無量です。同友会の歴史、法円坂法律の歴史とともにこの10年のバックナンバーは、フジイ企画の活動の歴史(様々な失敗も)でもあります。当方はここに至ってもまだ七転八倒を繰り返していますが、これからも研鑽して、日々の営みを検証していきたいと思っています。