フジイ企画交流会!お仕事帰りにぶらり寺内町…

 

 8月13日金曜日。世間はお盆まっただ中ですが、フジイ企画はお仕事です。 でもよいのです、今日の夜は「フジイ企画プレゼンツ・ナロードでプチ交流会」の日なのです!

 ナロードとは富田林のじないまち(寺内町)に古くからある有名な喫茶店です。絡まってる絡まってるとは聞いていたが、まさかこんなに絡まっているとは!ツタ! ここは社長のいきつけのお店らしく、よく話に聞いていて行きたい行きたい行きたいよーと思っていたのでうれしい! メンバーは社長とわたし以外に、クスノキ化学株式会社社長の三好氏と、堺市で小学校の教員をされている山本氏です。

 忙しい中むりやり来て頂いたと思うのですが、普段聞けないおもしろい話がたくさん聞けて、楽しかったです。 なーんてさらっと書いてしまったのですが、その話のおもしろさがもう半端じゃなかった。 お二人共ものすごーくいろんなことを知っていて、考え方もやわらかくて、これぞ大人!! こんなにすごい人に囲まれて良いのかわたし…というくらい。本当にあっという間に時間が過ぎました。 でもごはんもしっかり食べました。しあわせ~(写真右下…ボリューミーなパエリア) この日はお盆で他にお客さんがいなかったのですが、普段はかなり愉快なお客さんが集まるのだとか…ぜひぜひまたお邪魔したいです!

重要文化財『旧杉山家住宅』 じないまちは富田林にある江戸時代の古い町並みがそっくりそのまま残っている地区で、国から重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

 女流歌人・石上露子(いそのかみつゆこ)の生家、杉山家住宅。(明治時代に思いを馳せる山本せんせいが写っていますね見えませんね!笑)町屋を利用したカフェや家具屋さんなどが次々にオープンしていて、今注目スポットのようです。わたしも最近まちづくりに興味があるので、大注目です。



映画『いのちの山河』(日本の青空Ⅱ)が富田林で9月12日上映


あきらめから自信と誇りの明るい笑顔へ
‘行脚と対話’でいのちを守った深沢晟雄のドラマ

 長く無医村であった岩手県の山あいの沢内村。老人と乳児の医療費無料化で全国の先駆け的存在になる。この“生命行政”を実現するため‘行脚と対話’でいのちを守った深沢晟雄(まさお)村長と村民たちとの奮闘の日々を描いたドラマ『いのちの山河(日本の青空Ⅱ)』が2010年9月12日に富田林市(公会堂)で上映されます。

日時 2010年9月12日(日)
上映時間 ①10:00 ②13:00 (字幕あり) ③15:30 ④18:00
会場 富田林市立公会堂(市役所の駐車場をご利用下さい)

料金  前売り 60歳以上・障害者・中・高校生1000円、一般1200円
      当日1500円 小学生以下無料です。
主催  映画「いのちの山河」を富田林で観る会実行委員会
    連絡先(チケット問合せ先):富田林社会保障推進協議会担当:谷口・北川
 TEL0721(25)5649  FAX0721(26)7551
後援  富田林市・教育委員会・社会福祉協議会 

●チラシより●
生命あふれる独立国 沢内村

―乳幼児死亡率ゼロ、老人医療費無料化した先進国―
富田林医師会会長 森口 英世
 
 「富田林を独立国に。」と挨拶したのは3年前の休日診療所研修会の席でした。あまりにも無責任な国の医療政策に愛想をつかしたために、思わず出てしまった冗談半分の言葉でした。しかし、冗談ではなく、本当に実現したとてつもない男がいました。沢内村村長 深沢晟雄(まさお)です。雪深い奥羽山脈の山裾にあり、死んでからしか医者にかかれない最貧の村、岩手県沢内村。豪雪と貧困のため死亡率の高かったこの村は、「民主主義の基本は人命尊重」とする晟雄の理念と熱情に導かれて変貌していきます。
 1960年晟雄は65歳以上の老人医療費を無料としました。「国民健康保険法に違反していて認められない」と国は横槍をいれます。「法律違反かもしれないが、最も重要な憲法には違反していない。国がやらないから村が代わってやるのだ。最高裁まで争う。」と高らかに国との決別を宣言しました。乳児も無料化し、乳児死亡年間ゼロを日本で最初に達成しました。
 「国はあとからついてくる。」晟雄の残した言葉です。一時ついてゆくふりをした国ですが、今はUターンしたままです。このような時にこそ感銘深い沢内村物語は、明日への明るい指標となります。また民主主義の何たるかを世界に発信するべき時でしょう。



堺商工会議所報2010.8月号の『会員情報ボード』を利用して…

  商工会議所に加入してかれこれ10年以上になるのに、最近まで会報を見たり行事に参加することがこれまであまりなかったのです。以前から、商工会議所の色々な行事や勉強会はかなり『お得?』感があるのは知っていたのですが、開催日がウイークデイばかりで、我々零細企業にとって気ぜわしさが先に立って、なかなか参加してみようかという気にならなかったのです。

会員交流施設見学会もたまに参加します
 でもあまりに永い不景気が続いていて暇なのに、何故かバタバタしているのがおかしくて、「こんな時こそゆっくり温泉気分?」と決めて、気分一新、自分の仕事以外のことを色々体験してみたいと思うようになり、 一昨年辺りから、たまに会員交流施設見学会など結構利用させて頂くようになりました。  今年も7月6日に名古屋のリニアモーターカーの試乗と八丁味噌工場の見学会に行ってきました。

 堺商工会議所の所報『Compass Sakai』に
 そんななかで、堺商工会議所の所報『Compass Sakai』の最初の方のページに『会員情報ボード』というコラムがありました。企業の無料情報発信コーナーとして新商品、新サービスなど何でもPRしてください、というコーナーです。それで、初めて原稿と写真を送ってみたのですが、即刻掲載してくださいました。会報誌にこんなコーナーがあるのも知らなかった。会議所職員に尋ねたら、もう一年以上もやっているとか…いかに何も見ていないかということですね。

 ただひとこと、大阪府の商工予算は削られているせいか、我々が積極的に会議所を利用・参加しようかと思い始めたのと期を同じくして、内容とサービスが日々低下しているのが残念でなりません。

記載内容————————————————————————

予算の範囲で、必ず効果のある広報紙づくりを

 印刷会社で言う「安い」「速い」「きれい」は当然。それよりも、私たちは紙メディアというものを通じて、広報紙を発行しようとするお客様が、本当に伝えたいと思っていることをどういう方法で伝達するかということいつも考えてます。同じ予算なら必ず効果のでる広報誌でなければ意味がありません。
 皆さまが広報紙作りを考える時、一番二の足を踏むのは機関紙作りのノウハウに関すること、さらに編集に携わる方の負担増の問題ではありませんか。
 フジイ企画は、皆さまの趣旨・目的と、皆さまの力量にに添った紙面計画を提案し、皆さまが思っていることを形にするお手伝いと、皆さまができることをお話の中で決めて行きます。もちろん印刷に関わる作業的なことは全てこちらで処理し、いつものご予算で印刷、製本から納品までの全工程を引き受けます。

社 名  編集プロダクション フジイ企画
住 所  〒590-0933 堺市堺区柳之町東1-1-7 A-203
TEL   072-227-2790        
FAX   072-227-2791
H    P     http://www.fujii-net.com   
E-mail   info@fujii-net.com
創 業  平成2年  
代表者 藤 井   寛



暑中お見舞い!! 2010年夏版「本のしおり」ができました。

暑中お見舞い申上げます。藤沢です
 夏いですね。(夏なので暑いですね、の略) 流行りの熱中症にはくれぐれもお気をつけ下さい。 わたしはうっかり夏風邪を引いてしまいました。 熱は下がりましたが声がガラガラです。 もんたよしのりさんみたいです。 ただいまフジイ企画にお電話いただきますと、もんたさんが出ます。

 そんな風邪っぴきの時はおうちで本でもよんでゆっくりするのが一番です。 みなさん本よんでますか。ほん。 わたしが近ごろよんで(見て)るのはカラー図鑑シリーズ。いまは「どうぶつ(2)〈かちく〉」。 かちくを詳しく知りたい昼下がりにもってこいの一冊…。 この夏こそよむぞ、純!文!学! 待ってろソウセキ!ヤスナリ!マスジ!

 ジャンルはさておき本をよむ人は違うなー、とつくづく思うのです。 この歳になって、いまさら思うのです。 本をよむ人の語彙力には太刀打ちできません。 「むむっこの人、なにやら微妙なニュアンスの言葉を使い分けているぞ!」と思ったその人は、よむ側のひとなのです。 わたしも「すごい・やばい・かわいい」の使い回しには気をつけなければー。

今年もお客様にお配りする本のしおりをつくりました。
【真ん中2枚】
は堺市にお住まいの正木明夫さんの作品より。正木明夫さんは生活訓練施設アンダンテで訓練されている本郷正範さん(昨年、出版相談に来られた方です。2009年版で紹介)の友人です。
【左から2番目】は広告写真・CGなどを製作されているムカイヒロノブさんのもの。現在ムカイさんには「広報富田林」の降版ディレクションや新人(藤沢)のオペレーター業務のフォローの為に来社頂いています。パソコンのシステムについても色々とお世話になっています。
【右端2枚】は、私たちフジイ企画のアートディレクター・谷村柊丘の作品。今回は時代画シリーズで『四神の都』『西夏舞楽姫』です。
【一番左】のおいしそうなやつはわたし藤沢の写真です。

 本をよむ方は、どうぞじゃんじゃん挟んで下さい。
 よまない方、しおりの縦の長さはだいたい15センチです。 だいたい15センチが計りたい時に、ぜひご利用下さい。

 これをご覧頂いて、挟みたい!計りたい!という方がいらっしゃいましたら、 住所・お名前・電話番号をお知らせください。もちろん無料でお送りします。 なにかコメントなども一緒に頂けるとうれしいです♪作品を使ってほしい!という方もお待ちしています。



いよいよ夏休み! フレッシュスタッフです


初めまして! フレッシュスタッフです
  はじめまして、前回(1カ月半前。まるで昨日のことのようですね!)のブログにちらっと紹介されました、フレッシュなスタッフです。藤沢と申します。よろしくお願いします! さて、梅雨が明けましたね。
 何かの間違いかと思うくらい暑いですね。セミがさっそく鳴いています。それを家の近所の小学生が片っ端から採っています。三連休だったのでもうサマーバケーション気分みたいですが、ほとんどの学校は今日が終業式ではないでしょうか。

 PTA新聞に初めて取り組みました
 その終業式で、PTA新聞が配られる学校が多いようです。 フジイ企画でもこの時期はそれに合わせた製作で忙しくなります。今回、わたしが初めて携わったPTA新聞「羽曳が丘」は、広報さんも弊社では初めて。ホームページを見て(というより読んで)、来て下さったのです。わたしが不慣れなせいで、色々とご迷惑もかけてしまいましたが…ついに出来上がりました!  前回までは写真中心のアルバム調でしたが、記事中心の読む紙面へとガラッと変わりました。
 実際の製作を通して、学校の広報誌の重要性に気がつきました。決して、「形式だけの活動報告」ではいけないのですね。PTA新聞が盛上がることで、楽しいだけじゃなく、子ども達を取り囲む様々な問題に関心を持ち、考えるきっかけにもなる。そんな新聞づくりのお手伝いをしたいと思ています。 2学期末、学年末と、号を重ねるごとにどんどん紙面が良くなっていくのが今から楽しみです。

皆さんに親しんでもらえるよう頑張ります。
 ちなみに、この「羽曳が丘」の今年度のテーマは『親しみやすい広報誌』ということでした。わたしも皆さんに親しんで頂けるようなスタッフ目指してがんばりますので、改めましてよろしくお願い致します。(MAYUKO)



ご無沙汰ですが、創業20周年を経過しました

●本年3月で、フジイ企画として創業して20周年を迎えました。
 皆様、大変な永らくのご無沙汰です。  昨年暮れよりブログも停滞したままで、読者の方々からはお叱りを受けているのですが、なかなか皆様にお伝えすることができませんでした。

 昨年(2009年)は大学インターンシップの受け入れや、自治体(富田林市)の月刊広報誌の入札→受注など、様々な新しい状況を作り出しました。ただ一方で営業や版下オペレーターの体調不良による退社などが続き、業務拡張のための借入金のみを残すいう事態になってしまいました。

 本年3月はフジイ企画として独立してちょうど20周年。一度はキリがいいので廃業しようとも思ったのですが、「廃業」記念イベントの内容を思いつきませんでした。この間何もしてなかったわけではなく、これは大きな反省で、今までのやり方をシフトしようと本年初頭から、業態を徐々に鮮明にして、編集企画としての本来の仕事内容をより鮮明に打ち出すよう、静かな模索を始めていました。

 支持していただいているお客さまもあり、2月より期待するフレッシュなスタッフも迎えたことで、変容に期待する皆様とともに、当方のできるサービス内容を充実していきます。

 ●印刷単価だけの仕事はせず予算内で最大限の成果を
 印刷関連業界(当方のような系統も含めて)は、年々価格競争に追い込まれて四苦八苦してます。当方は、本業の編集企画にできるだけ回帰し、当然のことながら、編集方針にそってより効果的な広報企画(宣伝企画ではありません)を必要としているお客様に対して、あまり費用をかけないで効果とやりがいのある広報誌づくりを提案していきたいと考えております。 お客さまの要求が、例えば版下持ち込みなどで経費を押さえたい方は、単価的メリットがある方法を提案するなどして、対応していきたいと思っております。

 ●ときには製作費用負担を軽減し限りなく無料化に
 お客様の予算も年々縮小の傾向にありますので、できるだけ予算内で最大限効果のあるものを提案し、仮に必要な経費がかかったとしても、方針に沿ってスポンサーを当方で募り、その費用をねん出できる広報物を作成して「本当に伝えたいことを伝えられる形に…」する方針を明確にしていきたいと考えています。

 最近は、今までの広報物の中身を変えたいというお客様が、HPなどを通じて初対面でコンタクトされるケースが増え、レクチャーなどを通じて楽しい仕事をさせていただいてます。従来より予算を増やすと言うことはなかなか難しいですが、その分、効率的な工程管理を提案するなどしてお客様の方でも意欲的に取り組んでいただいてます。ありがたいことだと思っております。



本好きの人・本・心をつなぐ『古書片岡』

儲からなくても来客に椅子をすすめ、
時間の許す人にはお茶をすすめ、
本にまつわる蘊蓄を語る

 12月26日の土曜日、神戸市兵庫区神田町にある片岡喜彦さんの経営する『古書片岡』を初めて訪問しました。
 毎月兵庫土建の『建設ひょうご』の編集作業があるため、最低1回は神戸に通っているのですが、いつも仕事が終わればトンボ返りで堺に戻らなくてはならないことが多くて、今回の初訪問は片岡さんが開店して8ヶ月目となってしまいました。
 片岡氏は30数年労働組合の専従職を勤められて50歳になった時「古本屋になろう」と心に決めていたそうです。本好き、読書好きが行き着く願望が「あの番台に座りたい」ということで、本屋経営は実は若いころからの夢だったそうです。
 ただ、驚くほど商売気がなく、ただそこに座っていて本に囲まれている生活をしたいがため開業したので、儲からなくてもよく、経営方針といえば「来客に椅子をすすめ、時間の許す人にはお茶をすすめ、本にまつわる蘊蓄を拝聴できれば」ということなのだそうです。
 小さな店なので、専門分野もなく(本人の蔵書は社会科学系)、特別イチオシの本というのもなくて、ネット販売もしない。お金で汲々としている私らの感覚では、どうして成り立っているの…と思いますが、ここは片岡さんが友人にワープロで手紙を書いたり、同人誌『足跡』を生み出す書斎でもあり、よく考えれば誰しもが自分のスピリチュアル空間を現実再現化しているので、なんとなく理解できるような気はします。でも「本好きの人・本・心をつなぐ店」、このキャッチ、なぜか惹かれる言葉ですよ。

 ちなみに私の弟(藤井游惟)が、国語学者の定説に異論を唱えて書いた『白村江敗戦と上代特殊仮名遣い』という言語学から日本国家の起源を考察した本を一昨年ころ出版しました。それを片岡さんの定年前に差し上げました。それを店に出されていたそうですが、その本は売れたそうですよ。

片岡喜彦さんの関連記事 片岡喜彦写文集『本のある風景4』



中村祐造記念2009バレーボール交流試合in姫路

ミュンヘン五輪金メダリスト
中村祐造氏が4年ぶりにフジイ企画に
 
 ミュンヘンオリンピックの金メダリスト、中村祐造(男子バレー)さんが久々に来訪されました。
 前回、お見えになったのが2005年でしたから、私にとってはまさにオリンピックサイクルです。
 今回の来訪は、出身地の姫路で行われる家庭婦人バレーの交流試合のプログラム作成のためで、打ち合わせなどを含め、5回ほどお話しをさせて頂きました。
 ただ、たった4年しか経っていなのに、前回と多少印象が変わっていて少しとまどいました。お話しを聞けば、この間に体調を崩されたされたようで、お越しになる時はいつも奥様と同伴でした。
 今回は大古、猫田、横田とか森田以前の話題は少なく、事務的なお話が多かったのですが、今の指導者としての取り組みのお話などを伺っているうちに、前と全く変わらない語り口で色々なお話が進んでくると、少しづつイメージが戻ってきました。やはり『生涯現役』という姿勢は健在だと感じました。 たまたまフジイ企画の女性スタッフのひとりが40歳過ぎでバレーを続けているので、中村さんにお話ししたら『やる気があるなら、すぐに鍛えて大会につっこんであげる』とも言っていただきました。
 突然の来訪で、あまり時間感覚がなかったので、こちらも4年をちょっと振り返ってみたのですが、気が付かないうちに仕事の内容や人の出入りにも大きな波や変遷がありました。ただ、日々の繰り返しの中からでは気が付かなかっただけで、たった4年でもこの歳になれば色々ありますね。そうしたことを感じながら、(こちらも多分)外見こそいろいろ変わっているだろうなと思いました。
 ただ愚直に同じことを続けていく姿勢にはおおいに見習わなければと思い、こちらにも大きな励みになりました。今後も是非がんばって頂きたいと思います。

中村祐造記念2009 バレーボール交流試合in姫路
平成21年12月14日(月)~25日〔火) 会場=姫路市中央体育館
主催者/全国家庭婦人バレーボール生涯現役の会
代 表/中村 祐造  共 催/JA兵庫西  後 援/姫路市・姫工OB生涯現役の会
 

中村祐造氏のプロフィール
 1942年4月24日生まれ。姫路市出身。61年に八幡製鉄(現新日鉄)入社。主将として低迷していたチームを再建。ミュンヘンオリンピック決勝で東ドイツを破り、金メダルを獲得。73年から国内タイトルを11大会連続で獲得し、黄金期を築いた。77―80年に日本男子代表監督。現在、2009年に国体がある新潟県バレーボール協会のスーパーバイザーなどを務め、競技の普及に力を注ぐ。
 写真はミュンヘンオリンピックの決勝で東ドイツを破り胴上げされる中村祐造氏と金メダルなど(2005年作成のパンフレットより)。

追記=中村祐造氏は2010年7月に68歳でお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします



中国残留日本人孤児大阪訴訟5年の闘い『落葉帰根』

残留孤児の救済をいかに制度的に
確立していくかを問う

 中国残留日本人孤児の大阪での闘いを総括した報告集が大阪訴訟弁護団よりこのほど発行されました。

 全国各地で起こされた裁判での第1号判決。残留孤児敗訴の判決でしたが、その社会的影響力は大きく、マスコミでも大きく、そして批判的に取り上げられることとなりました。

 この裁判は、あらゆる意味で前例のないものでした。戦前の国策による最大の被害者である残留孤児たちの逃避行や肉親との別れ、戦後の歩み、帰国と帰国後の自立へ向けた努力に至る具体的な経過を、残留孤児たちの証言や数多くの資料から明らかにするものであり、膨大な「歴史」を「訴訟」という「土俵」に乗せるために様々な法的構成の試みが全国の弁護団で取り組まれ、その闘い方をめぐっては弁護団間でも熱い議論が交わされました。

 大阪訴訟判決をきっかけに、マスコミへの働きかけ、街頭宣伝など様々な活動が全国的規模で行われることとなり、国会議員の中にも新支援策導入への機運が高まって、最初の東京訴訟の提訴から、5年という比較的短い期間で、支援立法が制定されることとなりました。

 この報告集は、戦後60年ようやく帰国を果たしたものの、様々な形で日本社会で取り残された残留孤児の救済を、国の法的責任を明らかにするとともに、制度的にいかに確立していくかという課題と取り組みの成果を法律家の視点でとらえた報告書です。

編集発行=中国残留日本人孤児国家賠償訴訟大阪弁護団
A4判 122ページ
製作・印刷=編集プロダクション フジイ企画



おそうじのプロ「ケアマスター通信」を創刊

 株式会社ケアマスター。ハウスクリーニングや建築美装全般を扱っている会社です。社長の上田稔さんはお客様ゼロ件からスタートして創業7年目という36歳の若手社長です。今回は顧客向けに「ケアマスター通信」を創刊されるということで、そのお手伝いをさせていただきました。

  企画内容はバッチリ
 普通は、色々お話しをお聞きして煮詰めてからラフスケッチを出して…という工程なのですが、簡単なラフスケッチを持ってこられて、「この方針でいきたいのですが…、ただプロの意見もおききしたいのです」と仰る。  ラフ案を見て、『会社と社員を売る』という広報誌としての発行目的もハッキリしておられて、配布ターゲットも把握していました。また構成内容では『顧客の参加』を含めた広報物の双方向性という機能も十分理解した上で来られていることに驚きました。反射的に「なにもいうことおまへんわ。これでいきましょう」となりました。 紙面企画についてはバッチリでしたね。納期の問題と製作段階で部分的なコンセプト作りやページ割などは考えましたが、ほとんど上田さんの持ち込まれた記事通りです。その意味では納期はきつくても大変楽な仕事をさせていただきました。

商品ではなく会社・人を売ること
 普通、広報誌(社報)は、単なる宣伝物とは違って商品を直接売るものではありません。ここでの売りは会社自体であって、社風と『人』をどれだけ読み手に伝えることができるかということに尽きます。そのための方法論はいろいろ考えられますが、「会社を売る」ためには何と言っても発行側の経営に対する理念と指針がもろに核となるので、社長の方針が相当に影響します。 効果のある広報ツールを創るにはその方向性が最も大事なのです。この意味で、上田社長はサービス業の原点にしっかり立っておられて、さすが「コネなし、顧客ゼロ」から築いてこられた創業社長だなと感心しました。
 久しぶりに楽しい仕事をさせて頂きました。これからの工夫が楽しみです。

㈱ケアマスターのホームページ