見出しの繰り返しはタブー、でもネットではOK!? [編集ミニ講座](15)

 見出しの繰り返し表現はやめましょう
 何といっても見出しの役割は記事に読者を引き付けることです。限られた文字数でいかにインパクトのある表現をするか…というのが良い見出しのポイントだと以前お伝えしました。そのためには、無駄な部分を省きながら練り上げていくことが必要です。
 
 無駄な部分とは何でしょうか。たとえば同じ言葉が繰り返されている場合…「校区の治安を守れ!校区内の見回りを実施」「治安のため安全委員会を設置」このような場合、どちらも言葉が重複しているか意味が重複していてくどい感じです。「治安を守れ!校区の見回りを実施」「安全のための委員会を設置」などにした方がすっきりとわかりやすい見出しになります。これは見出しに関わらず、一般的に説明文などを書く時にも同じですね。
 
 でも、「砂漠に人・人・人」のように、あえて繰り返して強調したい場合もあります。(なぜなら普通、砂漠にラッシュはないもんね。=編注)無駄な繰り返しは読みづらいですが、「リズム」「語呂」の良さを生む繰り返しは、読みやすい見出しの要素になります。ところで…
 
HPづくりではこの『見出し論』は通用しません。
 ところで、困ったことにホームページ製作を受注した場合、我々の見出し感覚は通用しません。なぜならネットでは『読まれる』という以前に『探し出される』ということが最低必要条件だからです。つまりインターネットではきれいなページ、読みやすいページより、まず『SEO(検索エンジン最適化)』にかなうページ作りが前提となります。そのため、我々がいわゆる「見出し」にあたるタイトル部分にタブーとしている『繰り返し』をつかったり、言葉のリズムや流れより『汎用性のある言葉・表現』を重視したページ企画を行うこともあり、製作会社との戦術会議ではこの『表現方法論』が一番紛糾することです。
 
ちょっと整理すると
フジイ企画のスローガン(ネット以外)
本当に伝えたいことを伝えられる形に… 編集プロダクションフジイ企画
初期のころのHPタイトル(2002)
フジイ企画のホームページへようこそ
SEO対策後のHPタイトル(2007~)
広報誌・学校新聞の作り方、PTA新聞・社報・機関紙作りのお手伝い/編集プロダクション フジイ企画(大阪)
となり、あまり美しい表現ではなくなってしまいます。
 
楽しい「見出し」を画像で生かしてSEO対策
 ちなみに当社のHPでは苦肉の折衷案で、SEO対策上の文字タイトルに、見出し効果を補強するためにデザイン文字画像を採用したりして見出しとして補強し、より読みやすいページづくりを考えています。(イラスト)
製作例=当社HPの「広報誌の作り方講座」参照。


本文の「行間」と「読みやすさ」を考える [編集ミニ講座](14)

 

  行間についてですが、基本になる文字のサイズによって行間は変わってきますが、新聞の場合、本文行間は半角(本文横サイズの半分)あける、というのが基本になっています。つまり、13級なら行間は6.5級、14級なら7級です。新聞などではそれがいわゆる「読みやすい」とされているわけです。

 私たちはの両方足して『歯送り』という単位を使います。『歯送り』とは行頭から次の行頭までの距離のことを言うので、先ほどの13級なら歯送りは13+6.5=19.5級となります。14級なら21級です。我々略して「本文14の(歯)オクリ21でいこか」などと言っています。
 
でもこれって、すべてに当てはまるのではありません。
 ところで、この行間「半角アキ」という基準は、繰り返しになりますが、新聞の本文でのことで、同じ新聞でもヨコ組みや、写真説明(エトキ)ではまったく違います。写真説明ではほとんど行間はベタに近く、14級に対して2級ぐらいの行間(つまり歯送り16級)の方がまとまって見やすいということもあります。「なんでや」といわれると写真に対して「間延び」するから…などとお答えしています。
 
『行間を決める』とは『読みやすさ』の基準をきめること
 言ってる本人にもよくわかりませんが、「行間を決める」とは読み易さ、見やすさの基準を決めることですよね。本文の文字が多い部分では行間が広い方が読み易いですが、先ほどの写真が中心なら説明は字数も少なくサイドの役割であり写真の障害になっては困るからつめる…という判断です。
 
 読者に対してどうか…以外の基準はありません
 ましてや新聞以外の媒体、書籍やパンフレットになるとまた全く違ってきます。(フジイ企画の基準では)たとえば書籍は最低でも六分と一応決めています。書籍は文字が主流でそれが何十ページにも亘るという前提で、読書時間を勘案して行間と文字のポイントを考慮することが最も重要になってきます。また反対にパンフ類はビジュアルが中心で短時間勝負なので、先ほどの写真説明と同様、行間より紙面全体が拡散しないよう工夫します。
 
 つまりは、常に「読者に対してどうか」というのが「唯一」の判断材料です。その上でもっと「読みやすい」「疲れない」表記法の黄金律があるかも…と模索中です。フジイ企画流は「教科書ではなく常に根拠を示す」こと以外の決まりごとはありません。

お問い合わせ
堺市堺区柳之町東1-1-7 A203  Tel072-227-2790
Mail info@fujii-net.com  フジイ企画HP http://www.fujii-net.com
ご意見・ご質問・ご要望は上記かHPのメールフォームにて受け付けています



この漫画どう読みますか!? タテヨコ文化再考 [編集ミニ講座](13)

 前回、[編集ミニ講座](5)でタテ組ヨコ組のお話をしました。今回はもうちょっと踏みこんで…。
上のイラスト、皆さんはどう読まれましたか?
 
①泣いている赤ちゃんにミルクをあげると元気になりました
②元気な赤ちゃんにミルクを飲ますと泣き出してしまいました
 
 横組みで紙面を作る場合、以上の写真を左から順に並べると、たとえキャプションが無くとも読者は縦組みが基本の日本人でも ①「泣いている赤ちゃんにミルクをあげると元気になりました」のように読み取るのではないでしょうか。
 
 日本語は基本が縦組みなので小説や新聞、雑誌などは「右開き(右へめくる)」(ノンブルは右→左)が基本です。一方日本語でもヨコ組みされた論文集や、理数系などの書籍は欧米と同様に「左開き」(ノンブル左→右)というお話をしましたね。
 欧米文化圏は横組み、左→右流しなので、当然普通に①のように読み取ります。
 
アラビア文化圏では…
 ところで同じヨコ組みであっても 右→左文化圏があります。たとえばアラビア文化圏の読者は逆に読みます。アラビア圏ではたとえ横組みだとしても右から読むという文法があるからです。戦前の日本と同じですね。(日本は縦組み右→左流しが基本なので、横組みの場合でもこれを当てはめた)…とどうなるかというと②「元気な赤ちゃんにミルクを飲ますと泣き出してしまいました」と読まれてしまいます。
 
 
ところが…この話を社長が聞いて、「それより日本の漫画ってどうよ」というお話になりました。
 日本の漫画本は、日本語の場合縦組みが基本なのですが、これを結構堅持したまま横に流したりしているよな。これって相当複雑なんとちゃう、というお話になりました。
 もともと縦一段見たら、左に行っ て縦一段と言うのが基準、縦組み右→左流し、つまり縦組み文化そのものなのですが、タテヨコ混在文化を習得している日本人ならではの発想で、構複雑な読み方をしていても違和感を感じずに読んでるって日本人ってすごいな、と感心してました。
 

お問い合わせ
堺市堺区柳之町東1-1-7 A203  Tel072-227-2790
Mail info@fujii-net.com  フジイ企画HP http://www.fujii-net.com
ご意見・ご質問・ご要望は上記かHPのメールフォームにて受け付けています



実践上のお悩みや課題を一緒に『編集ミニ講座』で解決(閑話休題)

 

写真=江戸浪人!?谷村柊丘ディレクター(中央右)による7月度第3回社内研修 (7/9) の様子

 
中お見舞い申し上げます。

 7月度は、毎年ながら夏休み前の学校関係の広報紙や団体の『暑中見舞(お盆)号』の発行が集中し、皆様には大変な「ご無沙汰」ということになってしまいました。6月後半からスタートした「編集ミニ編集講座&談話室」も発足早々でちょっと滞りぎみで…申し訳ありません。夏はこの小さな『イベント』が終わると「恐怖」の長期の夏休み!! 小さな事務所ではなかなかこの調節がうまくいかないのが悩みです。
 
『答え』より『質問づくりに力を入れてます
 6月からスタートした『編集ミニ講座』。広報紙(誌)編集を実践されている皆様の疑問、質問にお応えしようという趣旨で始めました。今までスタッフで担当を決めて回り持ちでやってきたのですが、スタッフが実際何をやっているかと言えば、実は、編集の教科書を持ってきて模範解答をつくっているのではなくて、ほとんど皆さんからでるであろう、また自分たちが常日頃持っている『疑問』『質問』自体をあぶりだす作業ばかりなのです。なんか不思議だと思われるかもしれませんが、的確な「質問項目」さえできあがったらほぼ作業は終盤。でもそれができなければ答えが作れないのです
 
『実践してるからこそ』分かる答えを皆様とともに
 皆様は、広報編集にまつわる教則本が書店に行けば沢山あるのをご存知ですよね。それらを見て理解して実行すればほぼ完璧な広報紙がつくられるはずですが、そんな簡単にいかないでしょう? 本当のことを言えば私たちも程度の差こそあれ、実は皆様と全く同じなのです。そうした疑問を「初めて担当する人って、これが一番わからないだろうね」とか、自分だって「本当は未だにわからんけど…」ということを自問自答しながらやっていく作業って、結構消耗することが分かりました。
 
具体的な疑問であるほど経験=答を作ります
 一つの疑問から一つの切り口が生まれる…みたいに結構大変だけど「経験したからわかる」というメソッドは皆様に伝わるだろうし、そういう切り口でお伝えしたいと思っています。そのためにはぜひ、皆様の具体的で切実な『疑問』をお聞かせいただければ幸いです。経験者だから語れる切り口を色々ご紹介したいと思っていますし、おそらくそれがこの講座の独自性ではないかと思っています。言い訳がましくなりますが少々ペースダウンするかもしれません。でも私たち自身にとってもいい勉強なので継続したいと思っています。お電話でもメールでも結構ですのでぜひ皆様のご質問をおよせください。
 

お問い合わせ
堺市堺区柳之町東1-1-7 A203  Tel072-227-2790
Mail info@fujii-net.com  フジイ企画HP http://www.fujii-net.com
ご意見・ご質問・ご要望は上記かHPのメールフォームにて受け付けています



活字の大きさの感覚をつかもう [編集ミニ講座](12)

 本文で使用される日本語の文字の大きさは? 

 日本語の本文用の文字の大きさは媒体の違い(新聞、雑誌、書籍)にもよりますが、11~14級(8~10ポイント)が主流です。…とお答えするのですが、そもそも、その大きさの感覚わかりますか?
 文字の大きさを示す単位は、現在はオフセット印刷(平版印刷)が主流なので、「級」「ポイント」などの単位が使われます。今皆さんが使っているDTPソフト(イラストレータやインデザインなど)では、このいずれかではないでしょうか。
 『インチ』か『センチ』の違いが
 この基本単位は度量衡の基礎が『インチ』か『センチ』かの違いで、1ポイント=1/72インチ。1級=0.25mm(1/4mm)となります。「ええっ、そんなん覚えられへん」ということですが、これは基本知識として知っておくだけでいいのです。ただ「級」については私たちがよく使うセンチが基本なので計算するなら、たとえば『10級の文字といえば0.25×10=2.5mmか』ぐらいは知っておいた方がいいでしょう。
 
 パソコン作業で退化!?した「大小」感覚
 それより大事なのが、この活字の大きさの感覚です。たとえば9ポイントの文字ってどのくらいの大きさか、感覚でつかめてますか? 最近の会報紙や機関紙で、本文文字が必要以上に大きすぎたり、逆に小さすぎて読みにくいものを多く見かけます。その主な理由は、パソコンの普及によるDTP(デスクトップ・パブリッシング)が原因だと考えられます。今の編集組版現場を見てみると、レイアウト全体や、写真の配置、文章校正などの全ての工程がデジタル化されています。その中での細かい作業はPCの特徴である「拡大縮小ツール」を使って作業されているせいで、実際の大きさが分からなくなっているのでは…と思われます。
 
 「割付用紙」を使って作業するのが大事
 私たち本業ですら、編集の基本である割付用紙によるレイアウトをせず、いきなりパソコンに向かうことが多くなっているので大きな反省材料です。この感覚を養うためには、編集・組版に際しての基本である紙の『割付用紙』に立ち戻り、実際の大きさの紙面を念頭に、読みやすい文字の大きさを決めていく作業が不可欠だと考えています。字の大きさは『級数表』などをたえず見て感覚的に覚えていきましょう。

お問い合わせ
堺市堺区柳之町東1-1-7 A203  Tel072-227-2790
Mail info@fujii-net.com  フジイ企画HP http://www.fujii-net.com
ご意見・ご質問・ご要望は上記かHPのメールフォームにて受け付けています



実際の紙面で見出しを変えてみる [編集ミニ講座](11)

  見出しは記事の内容を一目でわかるように見せるものです。そのため、一目みてどんな事が書いてあるのかを理解してもらわなければいけません。短すぎると情報が少なすぎて意味がわかりにくいし、長すぎると一読できないので読み飛ばされてしまうかもしれません。新聞の一般紙だと、記事の大きさにもよりますが、メインの見出し(主見出し)8字、袖見出しが10文字程度が基本になっています。ところで…。(ま)

 
実際の紙面を反省材料として見ると…
 写真左は、実際に当社で製作をした、まちづくりのためのコミュニティ紙のトップ記事の見出しです。実はこの見出し、小さい見出し(脇見出し)とメインの見出し(主見出し)を逆にすべきだった、と発行・配布後に検討会議で意見がでたものです。
 これは、小さいお子さんのいるお母さん達が、自主保育を始め、子どもたちへ出し物をしたのをきっかけに本格的な人形劇団を立ち上げ活動している、という記事でした。
 そこで見出し案として出たのが「きっかけはママ友同士の自主保育からスタート。本格的な人形劇団に…」というものでした。
 
視点を変えると見出しも変わる
 この紙面はお母さん達の活動を紹介する広報ではないので、「本格人形劇団(WHAT)」をやっているということより、「なぜ(WHY)」というところを大きく扱うほうが、より興味深く、目にとまりやすい見出しになったかもしれませんね。…ということで、同じ見出しで主見出し、袖見出しを入れ替えて作り直してみました。実際は発行してしまっていたので「あとの祭り」なのですが、見出しの表現方法についても検討会議でいつも議論しています。
 
★昨日郵便局に行ったら、涼しげな暑中ハガキが色々並んでいました。今年はどんなのにしようか、まだ決めかねています…。
 

お問い合わせ
堺市堺区柳之町東1-1-7 A203  Tel072-227-2790
Mail info@fujii-net.com  フジイ企画HP http://www.fujii-net.com
ご意見・ご質問・ご要望は上記かHPのメールフォームにて受け付けています



罫線(ケイセン)はどんな風に使えばいいの? [編集ミニ講座](10)

  新聞形式の特徴は、いろんな種類の記事を一つの紙面に掲載することができることですね。いわゆる報道記事、連載コラム、ルポ、小説など一つの紙面の中に種類の違った記事を同時に掲載できるのです。そのため、記事と記事の境目をどうするかということ、またいわゆるコラムとして一つにくくるなど、紙面全体をメリハリのあるものにする必要がでてきますね。

 そこで罫線(ケイセン)の登場ですが、罫線のおもな目的は、記事と記事を仕切ることです。たとえばコラム等の囲み記事(ハコモノ)の時、ハラキリ防止の仕切り罫、見出し直前の罫線など、用途によって選択肢が結構多いです。さらにデザイン的な側面もあって、実は、罫線の使い方では私たちも結構悩むことが多いです。
 
 
記事のアクセントになるような工夫も…
 一般的には、太い線や途切れない線などは関連の無い記事を強く分ける効果があり、反対に細い線や途切れた線などは軽く分る要領で使います。記事の内容によって、華やかな線とシンプルな線を使い分けるようにしましょう。
 中には太い模様のそれだけ見たら結構楽しいケイ線もありますが、いずれにしても、あまり太い罫線は記事を締め付けてしまいますので「記事の分類をわかりやすくする」という本来の目的を逸脱しないよう注意する必要があります。
 同じく罫線の種類で棚線(タナケイ)という段間を仕切る罫線もあります。これにはいくつかの決まりごとがあります。ちょっと説明がややこしいので、またの機会ということで…。
 

お問い合わせ
堺市堺区柳之町東1-1-7 A203  Tel072-227-2790
Mail info@fujii-net.com  フジイ企画HP http://www.fujii-net.com
ご意見・ご質問・ご要望は上記かHPのメールフォームにて受け付けています



紙面にメリハリをつける…責任重大な編集者の視点 [編集ミニ講座](9)

 
左右の紙面、同じ記事内容に見えますか?
  複数の写真や記事を同じ大きさで配置すると、もう皆さんご存じのように当然、アクセントのない「写真アルバム」のような紙面になっていまいますよね。そこで編集者は読者の視線を意識して、その時の記事・写真内容に価値判断を加えてて、紙面の中で伝えたいポイントを考えるのですが、その時、記事・写真に大小をつけてアクセントとメリハリを考えていきます。ところが…
 
写真の大小・見出しの付け方…編集者の視点と恣意性とは
 上の例は、同じ記事を使って同じ写真を同じ枚数使っていると仮定して紙面を組んだものです。写真の扱い方(大小)・見出しの付け方によって記事内容がどのように推察できますか? もちろん見出しの内容は記事に記述されていないことは書けない決まりになっています。編集者は記事に見出しをつけたり、写真の優劣をつけたり…という判断、結構恣意的にしていることが分かります。
 
編集者によって紙面がかわります
 私たちはメリハリをつけた見出し、レイアウトと簡単に言っていますが、様々な編集上のタブーと称されるものに支配されてるとはいえ、こう見ていくと編集者の意図はかなり重大ですね。いい紙面とは何?ということも考えた方がいいかも。
 これ、はじめに書き始めたことから言えばかなり脱線です。本当は紙面の作り方は様々で写真の扱い一つでも大きく変わる、ということを言いたかっただけです。
 
★昨日は日差しが強くて暑かったですね。これからの季節、熱中症に注意しなければ…!
お問い合わせ
堺市堺区柳之町東1-1-7 A203  Tel072-227-2790
Mail info@fujii-net.com  フジイ企画HP http://www.fujii-net.com
ご意見・ご質問・ご要望は上記かHPのメールフォームにて受け付けています



『5W1H』さえ守っていたらすべて『いい記事』!? [編集ミニ講座](8)

  『記事の書き方』について…という質問に、いつもお答するのは「『5W1H』、これだけは守ってくださいね。」それのみです。それ以外のお答をしようとすると当方でも結構困ってしまいます。『読んでもらえるような記事の書き方』などという質問は、さらに難しいです。

『5W1H』とはつまり、When(いつ=日時など)、Where(どこで=場所)、Who(誰が=人物など)、What(なにを=目的・行為など)、Why(なぜ=原因・理由など)とプラスHow(どのように=様子・手段・状態・方法など)です。記事に必要な要素はこれだけでOKです。
 
『5W1H』は必須なだけで価値判断は別
 ただ、別の角度から言えば、この『5W1H』は必須条件ですが、順番はどうでもよくて、さらにどれが一番重要ということもありません。しかし等価でもありません。全部必要なだけです。これを全部書いてあれば読む人は、大方のことを正しく知ることができます。そういうのを一般に「いい記事(正しい記事)」と言ってるだけだと思います。これがフジイ企画流の解釈です。
 では一般的にまずい記事、「何が書いてあるのかわからない記事」とは何か?、これも簡単で、この『5W1H』のどれかの要素が必ず抜けているのです。これは、書き忘れのほかに、『故意』であるケースも多いのです。友人たちのメール交換には当事者間だけでわかる暗黙の了解があり、それはこの要素のいずれか、若しくは複数要素を意図的に欠落させているわけです。友人同士のメール交換やブログなどでも、他人がみたら「わけわからん」という記事が多くあります。「主語が抜けている」などという言い方もよくしますね。
 
『5W1H』のそれぞれの価値を変える要素を
 まず、人に『伝えよう』とするならこの『5W1H』をきっちり守ることだけでOKです。しかし記事が『面白ないやん』ということがあれば、これは『5W1H』価値を変える内容を書くということです。つまり、『誰』(噛みついたのは犬ではなく人間)か、『いつ』(真夏に暖炉でパーティ)か、『どこ』で(無人島での商談) …ということですね。『5W1H』は等価ではないといったのはこのことです。要するに面白い記事は要素の価値の問題で、書き方の問題ではないということだと思います。

 

お問い合わせ
堺市堺区柳之町東1-1-7 A203  Tel072-227-2790
Mail info@fujii-net.com  フジイ企画HP http://www.fujii-net.com
ご意見・ご質問・ご要望は上記かHPのメールフォームにて受け付けています


こんな『編集講座』ってあり?かな [編集なんでも談話室]

 『ミニ編集講座』なるものをわが「事務所だより」にスタートさせて2週間。読者の皆様にとってどうだったでしょうか。
 書店に行けば、新聞編集や広報企画のマニュアル本も多く出版されていますね。でも、私としては『マニュアルに忠実に…』ということができません。というかマニュアルで動けないのでしょうね(我がヘンコの職人デザイナーと共通か…)。今回、スタッフが作成した質問事項に対しては、ほとんど原典なしでお答えしているケースが多くて、マニュアル本と相反する主張があるかもしれません。
 
『編集上のタブー』ってなんだ!?
 ところで、当社のお客様は、自らの参加する団体の広報や機関紙コンクールに出展されるケースも多いのですが、その出展作品に『編集上のタブー』を指摘されることがしばしばあります。そのタブーというのは「記事の流し方」「写真の扱い」などに関する新聞組版のセオリーから来るもので、当然私たちもそのセオリーに従って日々業務を行っています。
 
あんまりカタに嵌められたくないですよね
 要するに「そうすると見にくい、わかりづらい、おかしい」と『いわれている』ことが論拠の中心になるのですが、私たちが「あたりまえ」と理解した場合であったとしても、突き詰めると、実はその解釈があいまいであったり、論拠自体が明らかに間違いであったりします。そうなると「タブーの要件」自体が変わってしまうのです。
 私は『タブー』という言葉自体好きではありません。そういう論評には必ず『論拠を示せ』とつい反論したくなり、実際、当社ブログで反論したこともあります。そういう無批判に「カタに嵌められた」論評には、お客様以上に私自身が反応してしまいます。
 
新しいものはセオリーを超えて…
 そもそも日本の新聞(広報)百数十年の歴史で、日本の新聞は、独自の進化をしているような気がします。見せ方、読ませ方の技術はこの100年ですごく進歩したように思われます。その技術の複雑さのせいで、様々な編集上のセオリーが生まれ、タブーが生まれてきたわけで、決して間違ったものではありませんが、その進化は今でも止まったわけではありません。いい紙面づくりへの挑戦はいわゆる『タブーへの挑戦』であるのかもしれません。
 
 こんな独断的見解、どうなんでしょうね? 実例を示せず、わかりづらかったかもしれませんが、でも、本当の職人さんは超ヘンコに現実を改良しているとは思いませんか? 皆さんのご意見をお願いします。