廃墟の旧大阪市立少年保養所『時の流れに…』

 大阪市立貝塚養護学校が廃校になって以後、9月に少年保養所を再び訪問しました。草が深くてたどりつくのが大変でしたが、今回はなぜか内部まで入れました。このほどフェイスブックでの織田氏の紹介で、ここが『廃墟探索』の対象になっている記事に触れ、感無量です。写真は「つくし寮」の入口内部の詰所付近。「時の流れに」という詩は詰所窓口上に掲載されてました。…まさに時の流れを感じました。(詩の全文筆記掲載)

 

旧・大阪市立少年保養所「つくし寮」内部と外観時の流れに

 
美しいと思う心を大切にしたい
自然に人に微みかけるよろこびを大切にしたい
 
人の暖かさそして愛に触れあたためられてゆくそのぬくもりを大切にしたい
 
信じ合える友がいる幸せを大切にしたい
 
助け合いたいと願う気持が通じ合う
そんな時を大切にしたい
 
心安らかになる時そんな時の流れを大切にしたい
 
愛する人がいるよろこびを大切にしたい
詩人 栗田麗子


『自分暦』で生き方の方向を見つけて

自分の宇宙だから停滞もまたOK
  2008年は、この2~3年の冬眠状態から、僅かな新しい芽を感じ取ることが出来た一年でした。 一般的に常識だということには、良いと言われていることでも絶対に従いたくないという、根っからのへそ曲がりの性格が2008年は特に強調されていたのですが、前年から計画していたブログと新しいホームページが数年の難産の末スタート、本当に数年ぶりにリニューアルしました。方向性が安定しているわけではないけど、この一年ブログなどをやってみて、人に対してではなく自分を整理することになることを知りました。永い停滞も自分の宇宙だから、これもOK。(本当はもっと伝えるようにしなければ)  年初は、前年末に始めたヨガとの出会いで、自分の内側と対話することに集中して本当に大きな宇宙を体験しました。実はもっと続けたかったのですが、師と自分の内なる声が相反することになってしまい、内なる声に従って同行二人で歩んだ一年でした。

『私暦の2008年』は3年1サイクル12年周期のスタート
 私は何十年来、手帳に様々な記録を残しているのですが、2002年にここ十数年の主な変化を年表に書き出すことを突然思いついて、主な出来事と変化を年表にして書き連ねてみたら、3年1サイクルの12年周期という規則性のなかで変化が起こっていることを発見しました。それで思い出す限り過去(小学生くらいまで)に遡って作表してみたけど、やはり法則性があり驚きました。(でも生まれ年をゼロとした周期ではないのが不思議です)。そして一昨年の3年1サイクルの終了時に再び年表を書き直してみました。この流れでいくと、昨年2008年は私にとって12年周期のスタートの年に当たっていて、2005~2007年の超低迷は、次の12年の準備ということになるだろうと思っています。(でもこれは自分で見つけた仮説なので誰にでも当てはまるかどうかわかりません)

何も変えずに、内なる世界を感じる
 日々の生活は道徳的でもなく、性格など全く変わってない。仕事も一進一退で反省もせず、2008年はそれでも自分のやり方で押し通しました。世間的に見たらダメ経営者の典型でしょうが、人の意見で行動するより、わずかな方向性の変化を感じ小さな芽を育てることが大事だと、頑なに信じています。世間的自我のすごい批判の嵐のなかで確かな(内なる)声を聞き続けるのは大変なことですが、それでもそれが唯一の自分の正しい道、もっと楽しんで、委ねて、遊んで、そして怒り狂って…。なぜなら、生きることは波動としてのリズムを感じることだと思うんです。高低のリズムでしょう。それにはどんな自分でも許し続けたいのです。これって想像以上に難しいのだけれど…。自分のオリジナル暦『変化2年目』の風の変化を肌で感じたいと思います。2009年はもっと息吹を感じ取るように内なる世界にアプローチする時間を大切にしていきたいと思ってます。



生きながら千の風になる瞬間

自分でもよくわからないけど…
このカテゴリーはMIXIにも掲載してのですが、「何が言いたいのか分からん」と言われることが多いです。実は私自身も、わけ分からないのです。ただ、ヨガやら瞑想やいろんなものを取り混ぜて、自分の内側内側に意識を集中していくと、エネルギーが渦巻いているのを感じられるようになって、徐々にそのエネルギーが反転して外側へ外側へ宇宙へと広がるように感じられるようになってきました。そしてそこに入った瞬間は、自分という形がなくなり、全てが一つになるという感じが少しわかるようになりました。色即是空空即是色…量子状態になっているような感覚です。でもそこから意識を日常に戻すと自己という頑迷な意識が現れ、たった今の現実がある(創造される)といった感じです。きっちり戻ってしまうんですよ。

『2001年宇宙の旅』に感じる
これを書いていてふと思い出しましたが、昔スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』という映画がありました。これ1968年の作品なので、今思う40年前の作品なのですね。謎の石版“モノリス”が中心テーマを構成しているように思うのですが、そのラストでフルカラーの嵐のような渦巻きの中を通過したあと、最後に文明の象徴ともとれる分厚いメタリックの構造物“モノリス”が立ちはだかっていた…というラストシーンで終わります。ちょっとこの感覚に似ているかもしれません。

どんな人のどんな信念も正しく
 量子物理学が発見した世界…精神の混沌?(波動状態)のなかから、何にせよ、意識を向けることによってそれが創造されるのだ…ということは法則であって真実のようです。だからマーフィーやらナポレオンヒルなどの成功哲学は理にかなってるのですね。ただ厄介なのは、信念が現実を創造する以上、どんな考えを持ついかなる人の信念も全て正しくて、真実として創造されているため、評価や論争は全く無意味だということになります。だからこそ、これは徹底的に自分だけ、一人の世界であるべきなのです。この世界には関与すべき他者など存在しません。

『導師』は自分以外にはない
 その信念の世界を現実(と呼ぶ)世界に持ち込んで論じると、次元が違うのでややこしいことになってしまいます。方法やらプロセスやら指導者が大事になって排他的になり、挙句の果てにカリスマやカルトを生み出してしまうのです。この現実世界は個別化(物質化)した世界なので他者に自己を投影するのはある意味で当然かもしれません…。結局『導師』は自分以外にはないのです。だから、ここで書いていることは何一つ証明することもできないし、全てたわごとに過ぎないのです。ただ内に生命の躍動を司るエネルギーだけは確かにあって、そこに一瞬でも触れると解放感と感動を確かに感じることができます。



嵐の向こうをながめる

 ここのところ、仕事の方向性の課題もさることながら、団体や組織に関係すること…つまりは人との課題ばかりが発生して相当参っています。それに意識を向けているせいか、かなり酷い落ち込みを感じています。トラブルやもめ事の処理というのは一番苦手とすることで、やはり、自分の性に合わないことには出くわすべき(?)でなかったか…と思うことがあります。

ただ、自分に起こっていることは、自分の外部に発生していることではなく、自分の心に発生しているのだというパラドックスの法則を実は知っていて、自ら好んで起こしているというフシがあるのに少し気がつきました。つまり心の中の一人相撲なんですよ。それを垣間見るとすごく不思議な感覚を覚えるようになりました。

いつもの日常的パターンの感情の嵐は今に始まったことではなく、子どものころから自分にへばりついて、ことあるごとに自分を悩ませてきたのですが、それが本当の自分ではないと気付くところまで内側へ意識を引くと、自分の宇宙が急に反転してすごく解放されるのを知って、こんな時こそ自分でアレンジした瞑想(…かなんかわかりません)を試すのにはにもってこいのタイミングだと思ってあれこれやっています。

なんとなく、穏やかでうまくいっている時というのはなかなか試せないしね。でもこの状況、自分にとって、どう転んでも今までの生き方(というより物の見方)を変更せざるを得ないところにきたようです。変更といっても何かをするのではなく、見つめ続けることだけですけどね。

いずれにしても、これ一人の道だしね。『精神世界』やら『ニューエージ』やらという言葉が嫌いで、教えてもらう師匠もいません。誰にとってもそうだと思いますが、自分に起きてくることは自分だけの経験であって、我一人の宇宙です。

うまく表現できてませんが、久々書きました。今は心の地平線を広げて、それを広げていこうと思っています。



未だIT化計画で悪戦苦闘中!!

 悩みの種は増えてるけど少しハマってるかも…

 永い悶々とした冬眠期間を経てHPをリニューアルしてからもう3ヶ月が経ってしまいました。ブログをアップしてから数えると半年ですが、内容がイマイチでも一度カタチにしたということがきっかけで、最も悩みの種だったHPに色々な工夫が必要だと考えられるようになり、そのこと自体が結構楽しいと感じるようにもなりました。 

これをやると考え方の整理にもなる
 ITへの方針を立てるということは、今までとは違った角度から、知らぬ間に自分の営業に対する考え方を整理するということと直接つながっているようです。ブログを書こうとしたり(あるいは書けないと悩んだり)、アクセス解析をしようとしたり、リンクをはったりしたらどうかと考えたり、色々思いついてやっているのですが、詰まるところ、自分の伝えたいことを有効に伝える方法を考えているのですね。でも、伝えたいことがはっきりしない場合や、『何のために』という目的があいまいだった場合、こんなややこしいことに取り組む気持ちにはなれないと思うのです。

今の営業スタンスはIT結果…
 自分の仕事を考えた場合も、ITは『必要に迫られて』触ることを余儀なくされたものですが、そのおかげでアナログ時代に何工程も別会社で分業でやっていたことがトータルにできるようになり、今の営業の基本スタンスが成り立っていることを思えば、人間がするべきことは機械以上の自分らしい方向性を出すということに尽きるのかもしれません。そのため、こんな不思議な横文字の世界をほんの少し触っているわけです。

トラックバック実験します
 ただ、インターネットの世界は素人には解らないことが多すぎるというのも事実で苦労しています。実はSEOの一貫としてgoogle analyticsのアクセス解析を設置してるのですが、昨日から自社のパソコンからのアクセスをフィルタリング機能を使って、カウントしないようにするのに、どうしたら良いかわからなくてネットを巡っていました。本音を言うとその中で知り合ったトータルwebさんのサイトにトラバを張るための実験をしようとしてこのブログを書いています。

どなたかフィルタリングについてご存知ですか?
 これからこういうことを通じて色々な交流の場ができれば楽しいと思います。先ほどのフィルタリング機能の件ですが、フィルタリングしたいIPアドレスやドメインを設定するようになってますが、ドメインを入れれば全部排除されそうですし、IPアドレスではどれがそうなのか分かりません。先ほど大商連のSNSでアクセスログを調べて地域のアクセスポイントをフィルタリングしたらどうかと教えてもらったのですが、お手上げです。だれか知ってる方があれば教えてください。



広報誌づくりも楽しい遊びとして…

『別れ』と『出会い』いつも桜の季節に…
 我々の仕事自体とはあまり関係ないのですが、お客様が学校関係や団体が中心なので、毎年4月の桜の季節は、仕事の雰囲気が大きく変わってしまうことが多いのです。新しい人との出会いがある一方で、去る人も多く、立ち止まって感慨に耽ることも多くなります。特に、昨年末から今年にかけて、仕事以外でも色々な形の『別れ』を経験しました。『よかったね』といえることや『けりが付いた』というものまで…。なにごともその『終わり』の処し方が新しい一年の運命を占うことになってしまっています。

仕事というのをやめて『遊ぶ心』に挑戦
 今年度はとにかく、営業スタイルも、経営に対する考え方も大きく変わってきたと思っています。あまり良い言い方ができなくて、悪く言えばいい加減になってきたということでしょうか。仕事を仕事と言うことこそ不幸かな。そんなことを言えば、お客様も周りのみんなも決して面白いはずがないということに気が付いていて、『仕事』や『売り上げ』などという単語自体がマイナス波動ですな。人との関わりで発見、感動できることを楽しみに探そうと考えています。(売り上げが上がらないことの言い訳でもありますが)最近『別れ』のひとつに『金』の亡者(自分の鏡)との別離もありました。

『広報誌の作り方』のアクセス数が増えてます
 昨年秋からネットに力を入れ、SEOやらアクセス解析やら訳の分からないことに挑戦したおかげで、いろいろなことが見えてきました。サイト構築の際に「うちが本当にお手伝いできることは広報誌づくりだ」と打ち出したのですが、この4月を境にサイトへのアクセス数が急に増えました。やっぱり4月は新年度で、未知のことに挑戦される(せざるを得ない)方が増えておられるのだと感じました。ただそういう方にどういうアプローチをすればいいか…これから少しづつ頭を絞っていきます。前にも書きましたが、楽しく『調和』的にというのがキーワードです。



IT時代のコミュニケーション

ブログ活用!?で「経営理念」を少しづつに明確に…

 最近さかんに『マッチング』ということが言われるようになってきました。昨日も朝のテレビで最近の求人難に立ち向かう企業の特集があって、高い求人倍率の中でやっと獲得した人材も、1年で34%あまりは辞めてしまうという内容で、採用担当者は技術、能力(学力)だけでなく、それぞれの人物と社風とのマッチングを考慮することも採用要件になっているとのことでした。

IT時代で可能になった人と技術の『マッチング』
 現代産業社会の高度化、細分化のなかで、得意とする分野、似て非なる特殊な分野は本当に複雑で、外からはより見えにくくなっていてます。社会背景として言えば、大量消費から個別少量、また個性重視、ナンバーワンからオンリーワンへと、時代を表すキーワードも複雑に変化してきました。今や「何処で誰がやっても同じ」では売れなくなった時代ですが、ビジネス社会は技術、専門分野の細分化以上に、それを『マッチング』させることを可能にするコミュニケーション手段が開発されたおかげで、より強調されるようになったのかもしれません。その中での価値とは、突き詰めれば今後、企業なら技術や成果に裏付けされた経営理念や営業スタンス、個人ならその生き方やポリシーなどで、それが直接売りになっていくことになると思います。要するに「その人」「その企業」そのもののあり方が、商品より重要な価値になるだろうということです。

売り込みも多く、こちらも探しているのに見つからないという現象
 今回、やっとのことでフジイ企画ホームページのリニューアルをしました。これに取り組むまで数年の月日を費やしてしまいました。HPを組み変えることで、やりたいこと、やれることがあると感じているのに進まなかったのです。ただ全くほったらかしにしていたわけでもなく、その間、HP制作会社が何社も売り込みに来られたり、また知り合いを通じてこちらから依頼したりもしていたのです。できなかった言い訳をすれば時間的な問題、コンセプト作りの問題、費用対効果の問題やらいろいろファクターはあったのですが、結局は専門業者と当方とのミスマッチ感を払拭続できなかったというのがより正確です。当然こちらの方針も曖昧で明確化できなかったことももありました。

ブログでは商品ではなく「人」と「ポリシー」を買います。
 今回できあがったホームページは、別のブログをいじっていて知り合った制作者との関係から、やっと生まれたものです。その人のブログの内容を読んでいて自分と考えていることがピッタリで「これなら」とこちらからアクセスしました。人や物を探すにはある意味でインターネット(特にブログ)は最適だなと実感した最初です。カテゴリーでいえば「ホームページ制作」会社と簡単にくくってしまうけど、会社の特徴も依頼者の要求も様々で、専門的分野や目指す方向、いわゆる自分の持つポリシーとコンセプトをツーカーで理解し合えなければ最後までかみあわないのです。ブログを契機に制作者のそれに向き合う姿勢と方向性を知ることができたおかげで、ちょっと時間はかかったものの方向性も確認でき、費用も納得のいくものになりました。

『ミスマッチ』…本当は、ずっと以前から悩みの種でした。
ITからほど遠い「印刷関連」とひとくくりにされる我々の業界も、得意分野、不得意分野を上手に一言で説明できないのが悩みの種でした。先ほどのHP製作業者とのミスマッチ感と同じで、うちのお客様も同じ事を感じていたかもしれません。印刷関係のことなら一通り(デザインでも編集でも企画でも)何でもします…としか言いようがなかった(もちろんできる自信はありましたが)面があって、結局は単価の問題や、お客様の要求をどこかで把握しきれず、応え切れなかった面が多々発生してました。よくよく考えてみると、こうだといえる自分の向かいたい指標と方向性があいまいだったことを知るようになります。

マッチしないと売り手も買い手も不幸の元
 いくつかの仕事の失敗事例を検証してみたのですが、業務上よく注意しているのに通常起こりえないミスが発生する仕事がいくつかあって、初動のミスが方向性にケチをつけたみたいに、その仕事に限って(関連がないのに)単純ミスが多発することがよくありました。検証してみるとそのほとんどが最初に何らかの不安感や否定感を持っているものであったのです。こんな場合、なぜか最後までトラブル続きで、ほとんど『波長があわない』としか言いようのないことがおこったりします。全く手抜きをしていたわけではないのだから、最後にはお客様も不幸になるばかりではなく、できるだけのことをやっているこちら側がより不幸になることに気づきました。

なんでも『やります』は、なんでも『中途半端』
 マッチングを考えるようになったのはこの頃で、トラブルの原因は単純に注意ミスの問題ではなく自分が向かいたい方向性が安定してなかったのです。そこで考えたすえ、喜んで取り組めてお客様を満足させられる仕事以外は、あえて受注しない基本方向を出しました。受注方針を変えたのでデザイナーから不満がでる場面もありましたが、あえて営業をストップしました。一方うちの得意分野『広報紙、新聞づくり』は全面に出して『機関紙コンクールで優勝を!』などのキャッチを打ち出したりしました。『楽しく仕事ができて、お金が入って、お客様もよろこんで』の三方よしを目指し、そのための自社の方針と経営理念、営業の方向性をはっきりさせることに注意を向けました。

コミュニケーションは言葉の整理から
 結局は、なんと言っても充分なコミュニケーションの不足がトラブルを招くのですが、スタッフとの意思疎通も充分になされないままから何となく『風潮』ができたりすることは一番問題で、理念と方向制を明確にするという目的がはっきりした以上、記録が残る文章で表現することが第一だと感じていて、今これにはブログがピッタリだと感じ始めています。書き始めは殆ど自分でも整理できていないことが、なんとなく自動的にまとまっていく気がしています。不思議なことですが、「自分はこんなこと考えてるんや」と思うことにびっくりすることも…。辻褄が合わなくなったりして公表していくのは反面怖いことでもあるのですが、それで形づくっていけるなら、徐々に少しづつ楽しんでやろうと思っています。



みどりの森で地球の歌を…

オープンしてから、初めて訪問しました
 2月11日の休日(建国記念の日)、世界一平和村(和歌山・桃山町)にあるピザハウス・カンパノーラに、オープン後初めて訪問してきました。昨年11月3日のオープン記念に友人らと訪れたのですが、その時は完成前の仮オープンで、屋根もビニールシート状態でした。ただHPを拝見してたので、年初から本格営業に入ったのは知っていました。  昨年秋以降の私はというと、村長に教えていただいた(おすすめ?)『修練』にハマっていて、仕事もそっちのけでYOGAと瞑想、内なる自分に集中する日々を送っていたので連絡することもなかったのですが、2月に入って、私自身ここが一つの区切りと見定めてきました。始めたころはここまで行くとも思っていなかったのですが。

自分の魂だけを信じる旅に
 この3カ月あまりの体験は、自分のなかには、本当に、本当に安心できるゆるぎない真我が存在していることを知り、それをほんの少しですが垣間見たということでしょうか。真我の声も言葉(自分ではない声)で聞くという体験もしました。 本当の意味で『平和』や『愛』を体現するには、どんな例外もなく、何ものからも自由であるということも感じています。もっと言えば、人やメソッドを超え、『師』や『カリスマ』などもないということでもあります。でもこれって、メソッドが強力であるほどそのシステムや師に依存し、ギリギリでほんと紙一重の信念を追加することで人を支配できるのです。だからこそ、組織でもなく、宗教でもなく、教師でもなく、徹底的に『自分を信じること』が重要だと感じられています。村長は、わざわざ人に勧めておきながらそこを心配してたみたいです。

自分が行きたい方向へ…
久々に自然の中で、内なる世界に入りたくもあり、自分の体験を話したくもあり、またお店の近況も知りたくて、三連休の一日は、独りハイキングのつもりでここに来てしまいした。  着いたのはちょうどお昼過ぎで、お客さんも満席状態でした。村長、相変わらず独特な雰囲気で、動きまわっていました。お客さんが一段落するまで、娘さんと裏山を登ったりしたあと、店長おすすめ(実験)の強力ガーリック入りのピザを食べながら、この間の私の体験、村長の夢、いろいろな事をお話ししました。この時、勝手ながら、自然も、空気も、置いてある家具も、ワンちゃんたちも、そして言葉も自分のなかで一つに調和していているような感覚で、なぜか不思議と会話も自分が行きたい方向に流れていきました。

Sometimes when it rains
 最後に村長が『いいものを聞かせてあげよう』とCDを取り出してきて、そこに流れ出したのが、Sometimes when it rains。この3カ月余り、これ自分と向き合う時にいつもバックに流れていた曲でした。旋律にのせて自分を魂に運んでくれた曲。題名も知らずにいたのですが、まさかここで聞けるとは思ってなかった。そう思うと急に涙が…。『心と心は一つでつながっている』『でも今までこんなタイミングないよね』…。本当にありがとう。

ピザハウス・カンパノーラ http://kanpanora.ikora.tv/



今しばらく同行二人で…

今しばらく…同行二人で

 年初、2008年は「光」の年にしたいということで、自分自身に光をあてて考えるように心がけています。昨年から持ち越しのHPをなんとか完成させたいと仕事の合間を縫って、今も取り組んでいます。(本当なら昨年中にできあがっているはず…)。今日やっと大まかなラフを提出したところです。

今までの自分ならスタッフに任せて自分は投げていた、という場面でしょうが、方向性をもって自分が動かなければ、実は前に進まないことを知りました。ただこれまでと違うのは、ずっと自分を励ましてくれている存在がいて、それが前を照らしてくれているということでしょうか。

この2年間の嵐の中、いつもマイナスのエネルギー(信念)にぶつかり、何とか逃げようとしている自分を知りながら、この処理が大変でした。人(や組織)頼みにするとか、自我のごまかしと真我の思いが分からなくて(というより本当は信じられなくて…という方が正しいかもしれない)、ますますマイナスの方向に進んでいた様な気がします。

もう一人の「私」は、本当に少しずつではあるが成長しているように思います。今、ひとり孤独な闘い(模索)を続けていますが、小さなことからコツコツ、その中に出会いがあるよと、今しばらく同行二人でがんばります。皆様によいお便りができますように。



自分を信じるということ

様々なメソッドは単なるツールです。

 私にとって昨年は、新しいパラダイムを迎えるためのキーワードが『調和』であると少し気づいたことですか。これは自分とまわりを取り巻くすべてのものが一つの源から発せられているのであって、世の中は自分とは無関係に存在することはなく、そこから発せられ形づくられてている全てのものを感じとることかな。

私が先に『真我発見』という言葉で表現したかったことは、プログラムの名称ではなく、本当の自分との対話を通じて、全てとつながることができると信じられるようになってきた、ということです。ただ、いろいろ遍歴した上で、一番いきたかった場所に連れて行ってくれた私によりマッチした方法はありました。それを教えてくれた人もいました。ただ、方法はなんでもいいのです。教義やメソッドではなく、徹底的に自分、本当の自分(宇宙)と交流することだと思っています。これは徹底的にそうだと思います。

ただ、前からすごく違和感を感じることですが、色々な教義やメソッドに固執して、真我でない『信念』の世界を拡大して排他的になっていることです。世の中を相反的に捕らえて『精神的なもの』とそうでないもの、『正しい』ものとそうでないもの、あるいは自分たちのやり方とは違うもの、というふうにです。このやり方こそ…という強力な信念(思い込んでいるもの)こそカリスマなどを作り、真我から遠いものだ感じます。私には『悟り』についてもそれに対する背反的なものはないと思っています。むしろ背反的に言うのは『精神世界』に関係している人々のほうが多いと思います。

皆さんコメント書いてくれなくて、メールでご返信いただいたりするので掲載できないのですが、この真我(神?)とどこかで繋がっている人との交流は、プロフィール抜きですね。人々とは魂で交流できるはずです。人間である以上ちょっとしたことで共感できるものだと思います。まだまだ荒れてますが、それをできるようその波動を高めていきたいと思っています。それはいかに自分を信じきるかだと思っています。日々、揉め事で怒り、強欲に翻弄されているいる自分を認め、許せない自分すら許していく勇気かな。これをやっていくと隠れた信念が溶解していくのを感じます。