インターン2011新聞9号-2『安宅花織はこんな人です』


<黒瀬が安宅君にインタビュー> 

Q1.大学で何してるん?

専攻は国際コミュニケーションです。
異文化コミュニケーションとかメディアとかはたまた幼児英語教育とかいってしまえば英語を使って色々勉強する!!ってところです。

Q2.大学以外は?

人助け!!・・・は大げさかも知れないけど(笑)バイトでプールの監視してますよ。
あと大学で新聞部作りました!(なんとぶちょーです)

Q3.なんでフジイ企画を選んだの?

創ってみる事にやりがいを感じるから企画にも興味がありましたし、新聞部を新しく作ってまだ右も左も前も後ろもわからないからフジイ企画さんの研修はその勉強にもなると思ったからです。
それに新聞を作る事で社会勉強も出来るだろうし、今必要なことも将来役に立つ事も学べるし一石二鳥と思ったからです。

Q4.将来どうしたい?

必ずイギリスに一回は行く!!!将来の人をあわよくばそこで・・・・(笑)
結婚して子どもが出来たら働きながら子育てして子どもをインターナショナルスクールに入れたいです!
10日間ありがとうございました
 ブログで書かせていただいたように、学校ではなかなか体験できないことを約2週間のあいだ数多くの事をさせていただきました。特に楽しませていただいたことは、ブログと取材です。ブログにおいては、交代で毎日書くのはしんどい時もありましたが、自分のWriting能力の向上を感じ取れましたし、なにより全く知らない人がおもしろいと思えるものをどうやって書いていくのかを考えながら書く機会は中々ないことだと思うので、大変勉強になりました。また取材においては、事前に質問したい項目をまとめておいて、質問させていただきました。話の流れや空気を変えずそのまま次の質問へ行くことに一番気を遣いました。これから、学校生活に戻りますが、ここで体験させていただいたことを、自分が部長を務める新聞部に十二分に生かしていきたいと思います。
最後になりましたが、受け入れて下さった社長、担当して下さった藤沢さん、江戸の美を教えて下さった谷村さん。そして、けやき通り町づくりの会の役員の皆さま、兵庫土建の平井さんと横山さん、関西共同印刷所の営業マンの方々、富田林市役所の皆さま、三国丘中学校の菊一先生、大阪ネコ倶楽部のSさん。たくさんご迷惑をおかけしましたが、温かくご指導いただき、本当にありがとうございました。いつかまた皆様とお会いできる日を楽しみにしています!!(安宅)

インターン2011新聞参照
インターン2011新聞10号最終号『半人前新聞いかがでしたか』
インターン2011新聞9号-2『安宅花織はこんな人です』
インターン2011新聞9号-1『黒瀬加奈はこんな人です』
インターン2011新聞8号『いよいよスポンサー訪問と取材へ』
インターン2011新聞7号『江戸浪人の第2回講座=美の探求』
インターン2011新聞6号『閑話休題-ただいま昼食中です』
インターン2011新聞5号『自治体広報の入稿日で市役所訪問』
インターン2011新聞4号『編集割付の現場を体験』
インターン2011新聞3号『コミュニティー紙の編集企画』
インターン2011新聞2号『江戸浪人の集中講座』
大学インターンシップ実習がスタート



3 comments to this article

  1. noga

    on 2011年9月16日 at 21:04 - 返信

    英語圏に行けば、片言の英語でも通じる。暮らしてゆける。
    完全な英語でなくても、英語環境がととのっているから通用するのである。
    英語環境がととのっている環境で生活していれば、そのうちに、英語も上達する。
    我が国においては、どんなに英語が堪能であっても就職先に困る。
    それは、人々が英語を使わないからである。これでは、暮らしそのものが成り立たない。
    日本の学校で6年間英語の授業を受けてもまず話せるようにならないのは、英語環境が整わないからである。
    一歩学校の外に出ると英語を使わないのでは、せっかく習った英語も錆ついてしまう。
    日々の学習努力も賽の河原の石積みとなっている。
    日本の学生のために英語環境を整えることが、語学力を増すことにつながると考えられる。
    それには、英語を我が国の第二公用語にするのがよい。
    国民も政治指導者も、英語の使用を日本人のあるべき姿と考えることが大切である。
    国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
    日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しく行われている。
    英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。
    英語を実用の言語とする政治指導者のさきを見据えた努力が大切です。
    たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。
    英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
    日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
    わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
    だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。
    一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。
    我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
    大人には考える教育が必要です。一人一人に哲学が必要です。
    現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人には価値がない。
    「感情的にならず、理性的になれ」と国民に訴える指導者がいない。
    「国民の感情に反する、、、、、」と言うのでは、主張の論拠にならないが、それのみを言う。
    感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。
    大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
    無哲学・能天気の大学生は、平和ボケ・太平の眠りの中にいる。
    「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。
    日本人は、国連中心主義が好きなようだ。
    国連の議場で世界の人々を説得するためには、自己の言葉が冴えわたる必要がある。
    議論のできない人があえて国連中心主義を唱えるのは、自己の他力本願を表明するための手段ということになるのであろうか。
    http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
    http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

  2. FB

    on 2011年9月17日 at 23:04 - 返信

    機会があれば、またフジイ企画さんに遊びに行ってくださいね。

  3. FBからの方へ

    on 2011年9月20日 at 18:10 - 返信

    コメントありがとうございます。
    はい。ぜひまた遊びに行かせて頂きたいと思います!!

コメントを残す

CAPTCHA