生きながら千の風になる瞬間

自分でもよくわからないけど…
このカテゴリーはMIXIにも掲載してのですが、「何が言いたいのか分からん」と言われることが多いです。実は私自身も、わけ分からないのです。ただ、ヨガやら瞑想やいろんなものを取り混ぜて、自分の内側内側に意識を集中していくと、エネルギーが渦巻いているのを感じられるようになって、徐々にそのエネルギーが反転して外側へ外側へ宇宙へと広がるように感じられるようになってきました。そしてそこに入った瞬間は、自分という形がなくなり、全てが一つになるという感じが少しわかるようになりました。色即是空空即是色…量子状態になっているような感覚です。でもそこから意識を日常に戻すと自己という頑迷な意識が現れ、たった今の現実がある(創造される)といった感じです。きっちり戻ってしまうんですよ。

『2001年宇宙の旅』に感じる
これを書いていてふと思い出しましたが、昔スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』という映画がありました。これ1968年の作品なので、今思う40年前の作品なのですね。謎の石版“モノリス”が中心テーマを構成しているように思うのですが、そのラストでフルカラーの嵐のような渦巻きの中を通過したあと、最後に文明の象徴ともとれる分厚いメタリックの構造物“モノリス”が立ちはだかっていた…というラストシーンで終わります。ちょっとこの感覚に似ているかもしれません。

どんな人のどんな信念も正しく
 量子物理学が発見した世界…精神の混沌?(波動状態)のなかから、何にせよ、意識を向けることによってそれが創造されるのだ…ということは法則であって真実のようです。だからマーフィーやらナポレオンヒルなどの成功哲学は理にかなってるのですね。ただ厄介なのは、信念が現実を創造する以上、どんな考えを持ついかなる人の信念も全て正しくて、真実として創造されているため、評価や論争は全く無意味だということになります。だからこそ、これは徹底的に自分だけ、一人の世界であるべきなのです。この世界には関与すべき他者など存在しません。

『導師』は自分以外にはない
 その信念の世界を現実(と呼ぶ)世界に持ち込んで論じると、次元が違うのでややこしいことになってしまいます。方法やらプロセスやら指導者が大事になって排他的になり、挙句の果てにカリスマやカルトを生み出してしまうのです。この現実世界は個別化(物質化)した世界なので他者に自己を投影するのはある意味で当然かもしれません…。結局『導師』は自分以外にはないのです。だから、ここで書いていることは何一つ証明することもできないし、全てたわごとに過ぎないのです。ただ内に生命の躍動を司るエネルギーだけは確かにあって、そこに一瞬でも触れると解放感と感動を確かに感じることができます。



2 comments to this article

  1. mai

    on 2008年9月21日 at 13:01 - 返信

    内なる宇宙を感じられる人なんですね。
    私も精神世界の話は詳しくはないですが、あまりにぶっとんだ話だって感覚も無く、私にとってもとても興味深いお話です。内にある生命の躍動、私も感じてみたいです。

  2. KAN

    on 2008年9月22日 at 00:04 - 返信

     コメントありがとうございます。初めてですね。今や『精神世界』と称する本やセミナーが花盛りで、色々なアプローチの仕方があります。でも、本当に自分に合ったやり方を見つけるのは実は難しかったのです。『もう一人の自分』に出会って、確かに自分の内側からの声も(言葉ですよ)聞きました。でもこの体験は、人から言わせればほとんど紙一重のきわどいものでした。指導者が導く方向の違いを感じたとき、自分の内側の声に従いました。
     日常生活のゴタゴタに埋没していると不安に感じることがよくありますが、あの感覚に触れたくて自分に向かう時間を増やしています。それでも最近少しづつ何かに導かれてるような気がします。

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