創業30年の節目を迎えて【紙ブログ40号より】

個人の意識が世界を創る時代

社会規範に惑わされずゼロ点から考えるコロナ緊急事態宣言発令中のこの春、フジイ企画は創業30年を迎えました。この時期に事業の節目を迎えるということは、私にとって結構象徴的で、意味深きことのように感じられます。
何にせよ、世の中の「規範」の大きな変更は、一つの時代の限界点に訪れるのであって、発生した社会現象自体に意味はなく、起こった出来事に一個人としてどう意味付けするかで解釈も対処法も正反対に変わってきます。
開業当初を振り返ってみれば、資金ゼロ、顧客ゼロ、人脈ゼロの「3ゼロ」からのスタートだったことは既にお伝えしましたが、そもそも、当時の世間的な開業の条件からは逸脱していたと言えますね。
基本がセールス嫌い、銀行嫌いなので、我流経営法しかなかったのですが、当時の世相もそれに付随する社会規範に対しても、常に懐疑的で人の意見を聞かない。だから、常にゼロ点から考えるのが癖のようになっていました。でも、よく潰れずにやってこれたことが不思議です。
当時、よく経営者仲間には「商売には一にも二にも人との交流が原点」と言われました。この価値観(規範)を今風に言うと『三密』のうちの少なくとも二つが〝命〟っていうことになります。ところが、今はそれがそっくりダメということになる。
自分の場合、仲間との飲み屋やスナック通いは30歳台後半で終了。もともと仕事がなくても積極的、計画的な営業はしなかったので、〝飲食を伴う接待〟などなく、ゴルフもしない。経営者団体の学習会などにはよく参加しましたが、40歳代以降は夜の交流はほぼ参加しなくなりましたね。
だから、この点だけを見れば、危機感も孤独感も感じません。

もちろん、この自己流スタイルには根拠はなかったので、長い間方向性を出せずに消耗していました。
最近、物ごとに意味付けする主体は「自分以外に存在しない」ことに気付いたことで、現象を観察することができ、見えてる出来事は茶番であると感じるようになりましたね。
この30年を振り返ってみて、最大の問題は、世間の常識に従わなかったことではなく、そんな中で通念に振り回されていた意識で、これがユルユルと生きてこれなかった元凶です。
今回の〝コロナ騒動〟は変化へのトリガーでしかなく、人間・社会関係のパラダイムがシフトし始めたことを意味します。つまり「永年にわたって続いた社会関係のあり方の不自然さ」が露呈されたということだけに意味があると思います。
そもそもこの騒動自体がナンセンス、その視点に立つと、コロナを前提にした今後の「予防策」や「新生活スタイル提案」などという〝ズレ〟た論議に耳を傾けたり、ましてや誰かに啓蒙されたりする必要性は全く感じません。
新しい時代は、ここを起点に個の拡張が世界を作っているということに目覚める時代だと思います。
だから、自分の立ち位置を忘れた「在宅勤務時代」や「AIの進行社会」などという話題に加わるのではなく、自分の幸せとは何かをブレずに自覚することが大事です。「密」とか「疎」とかに関係なく、人間社会にコミュニケーションが必須であるということに変わりはありません。(F)



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