『広報富田林』の思い出と今

 本年度(2009年度)は、富田林市の「広報とんだばやし」をフジイ企画にて受注、制作することになりました。すでに5、6月号を終え、現在7月号の制作を開始しています。前2つの号は納品済みですが、その経験の中で様々な工程上の課題が出ていて、現在一つづつ検証し改善を模索しているところです。

  バタバタ仕事好きの『広報』
 実は、その昔(1980年代後半)大阪の夕刊新聞社の編集局に在職中、労働争議が起きたため4年間仕事が出来なかった時期がありました。その期間、印刷会社から誘われて、羽曳野、柏原やこの冨田林の「広報」を担当していたことがありました。当時は仕事に飢えていたので、新聞社並みのバタバタ仕事が好きだった私にとって、思い出に残る期間でした。

  タブロイド新聞の広報づくり
 1980年当時の組版システムは、まだ電算写植が主流で組版ラインは割付用紙にそって大貼する時代で、整理割付も大変な作業でした。降版直前の大幅な組み替えもあり、「こんなことよそではできんやろ」と自負しつつ、打ち合わせ、整理レイアウトで夜間残業などを結構楽しんでいました。「広報とんだばやし」はまだ単色のタブロイド判で、新聞が好きな私にとってもってこいの仕事でした。

システム統一が最大の課題でした
 今回縁があって、フジイ企画として単独でこの「広報」を受注できたことは、無量の感慨があります。ただ、時代は大きくかわりました。組版ベースはお客様である市役所の情報公開課広報係で、ほぼ完成まで処理できるようになりました。我々の仕事は、中間のパーツ処理、写真補正などのプリンティングディレクションがほとんどの仕事になります。当方として最も苦労したことといえば、市役所との編集組版システムを完全に統一してラインに乗せるといういうことでした。
 今、広報の印刷前工程のディレクションは新人の『MIHO』ちゃんが一人で担当しています。まだ慣れてなくてかなりストレスを感じているようですが、製版、刷版、印刷の知識を急速に吸収して対応しています。



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