編集者は常に『読者』の目線で [編集サロン16]

20120821_01  新聞社では取材・記事執筆→編集整理(レイアウト)という流れの中で、最低二人の人が関わっています。原稿は取材各部(社会部、政治部など)の記者が書き、見出し・レイアウトは整理記者(整理部、編集部)というように役割が完全に別れています。
 取材記者は自分の執筆した記事を「見出しを付けずに」文字原稿だけ(「捨て見出し」といって記事の分類用のタイトルをつけることはあります)を整理部(整理記者=編集者)に渡すことになります。ここでの整理記者の仕事は記事の重要度を自分で判断し、トップ、サイド、あるいはボツ…と決めること。そして決めた記事の中で、どの部分を見出しにするのかを考え、またレイアウトを考えるというのが仕事です。
 
取材記者は見出しをつけない(つけてはいけない)
 ではなぜ取材記者は見出しをつけないのでしょうか。取材記者は現場に行って取材し記事を書くのが仕事ですね。いわば細部に至るまで生々しく現場を知っているということになります。つまり「足で稼いだ」内容のある記事であるほど、記者の思い入れが強いということなのです。思いれが強すぎると、ともすれば読者と記者の立場の違いが乖離してしまうということが起こります。その緩衝材として整理記者(編集者)が「第一読者」として中に入るのです。つまり単純に役割として「しない」のではなく、「させない」システム自体が編集者の仕事となっているのです。
 
「編集者によって紙面は変わる」責任は重大ですね。 
 整理記者は取材各部の記者から集まってきた原稿を、見出しをつけたりレイアウトデザインをしたりして実際の紙面をつくる。ここで重要なのがいわゆる『読者の視点』なのです。編集者は取材記者が書いた記事を、見た瞬間から「読者の視点」でと捉えるということになるのですが、発行者として何を伝えたいか、また読者にとって何が知りたいかを考え調整する。
 当然ですが整理記者(=編集者)には取材記者が書いた記事に対して加筆、訂正する権限はありません(割愛することはできる)。また記事に書かれてない見出しをつけてもいけません。ですが記事のポイントをどこに置くかは整理記者(=編集者)が決めるので、整理記者の責任は重大ですね。[ミニ講座9] 、[ミニ講座11]でも書きましたが、見出しの力点の置き方(価値判断)だけで紙面の見え方がまったく違うということも起こります。つまり、すごく主観的な判断になります。
 
広報委員同士で見出しを付けあいましょう
 さて、私たちに立ち戻って考えた場合、書き手と編集者が結構一体なわけで、自分の書いた文章に自分で見出しをつける場合、この「読者の目線で」というのが一番難しいのではないでしょうか。先ほども述べたように見出しには、記事にない文言を使用してははいけません。「自分は詳しく知っていることだから」とうっかりやってしまいがちですが、それなら記事でしっかり書きましょう。広報紙を数人で発行している場合、広報委員はしっかり他人の文章を読んで、お互い違う視点から「見出し」の付けあいをしたらいいと思います。とにかく広報誌は多くの読者に伝えることが使命です。そのためには『読者の目線』を常に意識しながら作ることが大事です。(ま)
 
 ちなみに、フジイ企画のこのブログも、基本的に本文・イラスト・編集と別のスタッフが担当しており、見出しやタイトルは編集の段階で付けれられます。なので文字通り編集され、最終的に全く別の切り口のブログになっていることも実はよくあるのです。
 
 きのう報告いたしました通り、「編集何でもミニ講座」で続けてきました当コラムの名称を、当方の思いと内容に合うように服装(タイトル)のみ新調させていただきました。ただ内容と切り口は当面同様なので通番にて進めていきたいと思いますので、皆様のご意見ご感想をよろしくお願いいたします。


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