自分を信じるということ

様々なメソッドは単なるツールです。

 私にとって昨年は、新しいパラダイムを迎えるためのキーワードが『調和』であると少し気づいたことですか。これは自分とまわりを取り巻くすべてのものが一つの源から発せられているのであって、世の中は自分とは無関係に存在することはなく、そこから発せられ形づくられてている全てのものを感じとることかな。

私が先に『真我発見』という言葉で表現したかったことは、プログラムの名称ではなく、本当の自分との対話を通じて、全てとつながることができると信じられるようになってきた、ということです。ただ、いろいろ遍歴した上で、一番いきたかった場所に連れて行ってくれた私によりマッチした方法はありました。それを教えてくれた人もいました。ただ、方法はなんでもいいのです。教義やメソッドではなく、徹底的に自分、本当の自分(宇宙)と交流することだと思っています。これは徹底的にそうだと思います。

ただ、前からすごく違和感を感じることですが、色々な教義やメソッドに固執して、真我でない『信念』の世界を拡大して排他的になっていることです。世の中を相反的に捕らえて『精神的なもの』とそうでないもの、『正しい』ものとそうでないもの、あるいは自分たちのやり方とは違うもの、というふうにです。このやり方こそ…という強力な信念(思い込んでいるもの)こそカリスマなどを作り、真我から遠いものだ感じます。私には『悟り』についてもそれに対する背反的なものはないと思っています。むしろ背反的に言うのは『精神世界』に関係している人々のほうが多いと思います。

皆さんコメント書いてくれなくて、メールでご返信いただいたりするので掲載できないのですが、この真我(神?)とどこかで繋がっている人との交流は、プロフィール抜きですね。人々とは魂で交流できるはずです。人間である以上ちょっとしたことで共感できるものだと思います。まだまだ荒れてますが、それをできるようその波動を高めていきたいと思っています。それはいかに自分を信じきるかだと思っています。日々、揉め事で怒り、強欲に翻弄されているいる自分を認め、許せない自分すら許していく勇気かな。これをやっていくと隠れた信念が溶解していくのを感じます。



4 comments to this article

  1. 藤井寺のハラダです。

    on 2008年1月8日 at 19:12 - 返信

    こんばんは、藤井寺のハラダです。
    検索で一発でさがせました。また、訪問させていただきます。

  2. ささい智良

    on 2008年1月9日 at 11:52 - 返信

    羽曳野のささいです!
    検索で一発は無理で、二発で探しました!

  3. 高橋祐勝

    on 2008年2月19日 at 19:54 - 返信

    こんばんわ。
    読まさせていただきましたし見させていただきました。
    寛さんね此処暫くね朝起きるとね(リラックスリラックス)って思いがいつもいつもなんです。
    もうお前プレッシャーは良いんだよの空海さんの声のような気がしてね^^。
    だからいつもの癖で突進しようととすると途端にリラックスリラックスで深呼吸して肩を廻し、すると気がすうーっと下がって行くのがわかってとっても爽やかな自分が居るのです。あーーありがたいなあって思ってしまう瞬間瞬間なりなり、」ですようーー。
    寛さんリラックスリラックスで行きましょうねーーー^^。

  4. 匿名

    on 2008年2月20日 at 20:47 - 返信

    村長様。
    先日の書き込み、独り自分の世界にハマってしまってちょっと恥ずかしい気持ちです。
     いつも日常の喧騒の波に飲み込まれそうになる時、できるだけ深い呼吸をして周りの世界を見るようにしています。『頭(考える)』ではなく『感じる練習』です。そうした時、「頑張らなくていいんだ」とふっと安心感がやってきたりします。そういうのを大切にしたいですね。

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